出荷の、苗(第二稿)
何十年実る木の、最初の一年

カトリシズク(38歳・果樹苗の接ぎ木職人16年)

接いで、巻いて、活着を待って一年。苗床の苗が畑を出る冬が来る。落葉が終わってから掘り上げる。葉があるうちは木が働いているからだ。私は十六年、苗を継いできたが、掘り上げて送り出すのも、毎年この時期の手だった。

掘り上げは、鋤を斜めに、根の下へ入れる。苗の列から手のひら一枚ぶん離して、刃先を根の真下へ滑り込ませる。近すぎれば太い根を断ち、遠すぎれば重い土ごと持ち上がる。親方は「根の下に手のひらを差し込むつもりで入れろ」と言った。一年目、私は近くに入れすぎた。鋤の先で、白い根がぶつぶつと切れた。土の中の、こもった音だった。あの音は、いまも好きになれない。

掘り上げた苗は、根が長い。植えやすくするため、切り詰める。私は接ぎ口から指四本ぶん下、太い根が二、三本に分かれるその股のところで鋏を入れる。そこより上で切れば吸う根が足りず、下で残せば植え穴に巻き込んで折れる。一年目、私は根を惜しんで長く残した。出荷先の農家から「植えにくい」と電話が来た。それから、惜しむのをやめた。短く、決まった位置で切る。長い根は活着の力ではなく、植えにくさになる。

掘った苗は、一本ずつ検査して等級をつける。幹は接ぎ口の上十センチで測る。直径八ミリ以上が一等、足りなければ二等、六ミリに届かなければはねる。その日、私は六ミリに半ミリ足りない一本を手に取った。芽は詰まっていた。根も四方に張っていた。だが幹が細い。芽と根がいくら良くても、規格は幹の数字で切る。私はそれを、はねの箱へ置いた。何万本を継いだ末に、最後にもう一度、一本ずつへ線が引かれる。

出荷まで間があるときは、仮植けにする。畑の隅に溝を掘り、根を寝かせて並べ、土をかぶせる。乾かさないためだ。露地に裸で置けば、根は半日で乾く。乾いた根は、もう水を吸わない。溝の苗は、根だけが土の中、幹から上は外気に出ている。冬の風に、芽が乾かないぎりぎりの深さに埋める。浅すぎれば乾き、深すぎれば芽まで埋もれて蒸れる。土をかぶせる手の、その加減も、はねた一本を出した年に覚えた。

送り出すときは、根を巻く。おが屑を水に浸し、握って水が滴らないところまで絞って、根に当てる。湿りすぎれば道中で蒸れ、乾いていれば包む意味がない。当てたら、ビニールで覆い、口は根元の幹のきわで結ぶ。上で結べば中に水気がこもり、根が腐る。接ぎ木のテープを締めすぎて切り口を黒くした年があった。守るための巻きが、守りすぎて殺す。だから絞り、だから口を下で結ぶ。蒸れた根は、土とは違う、酸っぱい匂いがする。あの匂いを一度かいでから、私は絞る手を強くした。

宛先は、伝票で決まる。何百本まとめて買う果樹農家。ホームセンターの棚に一本ずつ立つ苗。庭に一本だけ植える、どこかの個人。同じ溝で春を待った苗が、伝票の宛先で、まるきり違う行き先へ散る。農家の斜面では何百本の一本になり、誰かの庭ではたった一本の主役になる。私が継いで、掘って、絞って巻いた一本が、住所の数だけの春へ分かれていく。

苗は、植えられて何十年も実をならせる。私が手で触るのは、その木の最初の一年だけだ。あの六ミリに半ミリ足りなかった一本は、はねの箱から、結局どこへ行ったのだろう。一等の箱に入れた一本は、いまどこの斜面で、何度目の春を迎えているのか。私は、その春を見ない。掘って、絞って、口を下で結んで、伝票の住所まで。私の手は、そこで止まる。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。