核は強い。指の爪で欠けを確かめる手つき、台帳と実物の二十グラムのズレを使用記録まで遡る執念、扇風機を「風が庫内に入らない向き」に置く理由、廃棄箱に入れかけて木箱に戻す謎のガラス管。この四つは、二十三年その部屋にいた人間にしか書けない。問題は、書き手がこの核を信用しきれず、入口を蝉と陽炎の書き割りで始め、留保語尾で逃げ、最後に「通信簿」「総決算」と二度も主題を説明して回収してしまっていることだ。職業エッセイは、手つきが本物なら説明はいらない。
「生徒のいない理科室には、遠くから蝉の声が聞こえてきて、窓の外の運動場は陽炎で揺れている。」
蝉、陽炎、誰もいない教室。「夏の学校」を最安値で調達する三点セットです。この書き手が本当に二十三年その準備室にいたなら、夏を告げるのは蝉ではなく、薬品庫を開けた瞬間の匂いの濃さか、冷房を止めた理科室にこもるガラスとゴム栓の熱気のはずです。雰囲気が人物より先に立っており、生成された"それっぽさ"の典型。後半に出てくる扇風機の一段(庫内に風を入れない向き)のほうが、よほど夏を立たせている。冒頭はそれに席を譲るべきです。
「物を捨てるのが、私はあまり得意ではないのかもしれない。」「けれど、薬品というのは、そういうものなのだ。」
台帳と実物を一グラム単位で照合し、ズレを記入漏れまで追い詰める人物が、自分の性分を「〜のかもしれない」で濁すのは不自然です。これは怯えではなく、断言を避ける作者の保険に見える。捨てられないなら、捨てられないと書けばいい。あるいは、欠けたビーカーを何個自分用に取り置いているか、その数を出せばいい。数で語れる人物に、ふわっとした自己分析は似合いません。
「私はしばらく、その意味を考えていた。廃棄の箱に入れかけて、けれど、また木箱に戻した。」
素材は今作で一番いい。だが「その意味を考えていた」は、考えた中身が空白のままです。何を考えたのか——前任者の誰かが自作したのか、もう作れる人がいないのか、捨てれば台帳から永遠に消える名のない備品だと気づいたのか。戻す動作の前に、戻したくなった理由が一行要る。さもないと「迷ってみせた」だけのポーズになる。膨らみのあるガラス管の用途を、半端に想像する一文があってもいい(曲げて気体を導く管だろう、くらいの)。
「ビーカー百ミリリットル、五十個。スタンド、四十二台。」
数字を置いたのは正しい。だが棚卸しの肝は、リストの数と実物の数が合わないことのはずです。スタンドが四十二台と書いてあるが、台帳では何台だったのか。一台足りない、あるいは一台多い、その差こそが棚卸しという仕事の正体でしょう。薬品庫では二十グラムのズレを追っているのに、器具のほうはぴったり合っている前提で書かれている。ここに不整合の一行を入れれば、欠けを指でなぞる場面と響き合います。
「この手続きの紙の多さに、最初の年は面食らったものだ。」
「紙の多さ」は概念であって観察ではない。劇物の廃棄なら、何という書式に、誰の印が要り、容器にどんなラベルを貼って何日待つのか——その一個の具体が、紙の束より雄弁です。前作の「気おつけて」が一枚で全部を背負ったように、ここも書類を一種類だけ名前で出せば、手続きの重さは伝わる。「面食らった」という感想は、具体が出れば不要になります。
「棚卸しというのは、一年分の通信簿のようなものだ。(中略)夏の棚卸しは、その総決算なのだと思う。」
最終段で、同じことを「通信簿」「総決算」と二度言い換えています。前作の最終段で「私をいまの私にしてくれた」と自己赦しに走った悪癖の、再発です。棚卸しが一年を映すことは、二十グラムのズレを追う場面と、欠けを指でなぞる場面が、すでに全部やっている。比喩で要約した瞬間、その手つきの値打ちが下がる。エッセイの主題を主題文で書いたら、それは要約であってエッセイではない。最終段は、二学期のかごを分け終えて鍵をかける、その動作一つで閉じるべきです。
「明日もまた、私はリストを片手に、かごを床に下ろす。」
「明日もまた〜」は、前作の末尾「明日もまた、班の数だけフラスコを並べる」と同じ構文で、しかも夏休みの話なのに「明日もまた」棚卸しが続くわけではない。閉じ方の判子をシリーズで使い回しています。同じ人物の二作目だからこそ、前作と違う閉じ方を探すべきで、ここで前作をなぞると「型」が見えてしまう。汎用の余韻ではなく、この夏のこの動作で終えてください。
残すべきは四つ。指の爪で欠けをなぞる確かめ方、台帳と実物の二十グラムのズレを記入漏れまで遡る場面、扇風機を庫内に風を入れない向きに置く理由、名のないガラス管を木箱に戻す手。削るべきは、冒頭の蝉と陽炎、留保語尾、「通信簿/総決算」の主題解説、そして「明日もまた」の使い回しの結び。改稿では、器具の棚卸しにも台帳との不一致を一つ入れて薬品庫のズレと響かせ、謎の器具を戻す前に戻したくなった理由を一行で置き、最後は二学期のかごに鍵をかける動作で閉じてください。意味は動作が運ぶ。説明が運ぶのではない。