改姓の、窓口
続けるか、戻すか。様式が用意した二つの届

コバヤカワメグミ(55歳・市役所戸籍係31年)

戸籍の窓口に三十一年座っている。出生、婚姻、離婚、死亡。どれにも決まった用紙があり、欄が埋まっていれば受理し、埋まっていなければ書き直していただく。お祝いもお悔やみも言わない。窓口の中立とは、感情ではなく、欄を見る技術のことだ。

離婚届の用紙は、婚姻届と同じ規格でできている。同じ大きさ、同じ罫線の硬さ、同じ紙の色。証人欄まで同じようにある。窓口の外の人は、結婚と離婚が正反対のものだと思っている。けれど私の手の中では、二枚はほとんど見分けがつかない、よく似た紙にすぎない。

離婚届を出すとき、婚姻のときに変えた氏をどうするかという選択がある。何もしなければ、氏は旧姓に戻る。婚姻時の氏を続けたいなら、別の届が要る。婚氏続称届という。離婚から三か月以内なら、届け出るだけで、結婚していたときの氏を、そのまま続けて名乗ることができる。

窓口係は、理由を聞かない。聞く欄がないからだ。けれど、二枚の届を出す順番と組み合わせで、その人の事情の輪郭だけは、見えてしまうことがある。離婚届と婚氏続称届を、同じ日に、続けて出す人がいる。別れても、氏は変えない、と決めている人だ。たいていは、子どもがいる。

あるとき、若い母親が、その二枚を一緒に出した。新学期の始まる、少し前だった。子どもの名字が学年の途中で変わらないように、母親のほうが氏を合わせておく——そういう選択なのだと、私は枠を見ながら理解した。何も聞かなかった。彼女もまた、何も言わなかった。窓口とは、言わないことが許される、数少ない場所なのかもしれない。

反対に、離婚届だけを出して、即日、すべてを旧姓に戻していく人もいる。続称の届には、目もくれない。住民票の写しを、何枚もまとめて請求していかれる。免許の書き換えに一枚、銀行に一枚、パスポートに一枚。新しい氏になった自分を、これから一つずつ、世界に登録し直していくのだ。その背中は、どこか軽そうにも見えた。

改姓に伴う手続きの案内を、私はチェックリストにして渡す。運転免許、銀行口座、パスポート、保険証、クレジットカード。氏が変わると、その人を指していた紙が、いっせいに古くなる。リストを受け取るときの表情は、人によって違う。ほっとした顔の人もいれば、その紙の長さに、少し疲れた顔をする人もいる。私はただ、紙を渡すだけだ。

離婚届にも、証人欄がある。婚姻のときと同じ、成人二人の署名の欄だ。結婚を見届けた二人と、別れを見届ける二人。同じ様式の、同じ位置にある欄に、署名が並ぶ。私はその二枚に、婚姻届に押すのと同じ受付印を、同じ角度で押す。インクの濃さも同じだ。窓口の平熱とは、たぶん、この手の角度のことだ。

火曜日と金曜日は、窓口が混む。月曜の振替や週末前の用事が重なるからだ。その列のどこかに、結婚届を出しに来た人と、離婚届を出しに来た人が、たぶん並んでいる。けれど二人とも、同じカウンターで、同じ私の手に、同じ紙を渡す。名前は、人生の背表紙のようなものだ。書き換えても、その本の中身が消えるわけではない。私は今日も、その背表紙を一枚ずつ受け取って、受付印を押している。窓口の光は、今日もやわらかい。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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