出生届の、ふりがなの欄(第二稿)
戸籍係一年目、様式の上の人生を見はじめた日

コバヤカワメグミ(55歳・市役所戸籍係31年)

戸籍の窓口に三十一年座っている。出生、婚姻、離婚、死亡。どれにも決まった用紙があり、欄が埋まっていれば受理し、埋まっていなければ書き直していただく。お祝いもお悔やみも言わない。窓口の中立とは、感情ではなく、欄を見る技術のことだ。

戸籍にふりがなが載らないことは、研修の初日に教わる。名前は漢字で記録される。ふりがなは住民票をつくる処理にだけ使い、戸籍そのものの上には残らない。常用漢字と人名用漢字の表にない字は書けず、字数にも限りがある。私はそれを、窓口に座る前から知っていた。

一九九五年、配属の年。初めて一人で受理したのは出生届だった。出してきたのは若い父親で、目が赤かった。あとで分かったが、出生届を持って来るのは、たいてい寝不足の父親である。母親は産んだばかりで動けない。慣れない手で枠を埋めるのは、父親のほうだ。

その父親の出すふりがなの欄に、鉛筆で薄く下書きした跡が残っていた。本番のペンの字は、下書きを一画ずつなぞって、少し外していた。読み方は、知っていた。戸籍には載らない読み方だ。家族が何週間か悩んだのかもしれないその数文字を、私は、載らないと知りながら受け取り、受付印を押した。受理印には、その日の日付が入る。一九九五年の、ある日。

知っているのに受け取る、というのが、この仕事だった。父親に「これは戸籍には残りませんよ」とは言わない。言う欄がないからだ。様式は、書かれたものを処理し、残すものと残さないものを、本人に断りなく仕分ける。下書きの跡は、住民票の処理が済めば、どこにも残らない。

同じ日の午後、死亡届を受理した。出してきたのは年配の男性で、届出人の続柄の欄に「夫」とあった。私はその死亡届に、午前の出生届に押したのと同じ受付印を、同じ枠の中に押した。同じ日付。出生と死亡が、一本の印鈕の上で隣り合う。手は同じ角度で動き、インクは同じ濃さだった。窓口の平熱は、たぶんこの、手の角度のことだ。

その年の冬、ある婚姻届を受理した。証人欄に、友人らしい二人の署名があった。片方は几帳面な楷書、片方は崩れた走り書き。同じ枠、同じ大きさの欄に、まるで違う二つの字が並んでいた。私は両方の字が枠からはみ出していないかだけを確かめ、受付印を押した。閉庁日の夜間受付の箱にも、誰のものとも知れない届が、ときどき静かに入っている。

三十一年で受理した届の数は、覚えていない。覚えているのは、押した印のことだ。午前の出生届と、午後の死亡届。同じ日付の、同じ受付印。そして、戸籍には残らなかった、あの鉛筆の下書きの跡。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。