婚姻届の、証人欄
結婚が二人だけのものではないことの、様式上の名残

コバヤカワメグミ(55歳・市役所戸籍係31年)

戸籍の窓口に三十一年座っている。私の仕事は、人生の節目を様式で受け取ることだ。出生、婚姻、離婚、死亡。どれにも決まった用紙があり、欄が埋まっていれば受理し、埋まっていなければ書き直していただく。お祝いもお悔やみも言わない。それが窓口の中立というもので、私はそれを誇りではなく、技術として身につけてきたのだと思う。

婚姻届には、成人二人の証人の署名が要る。本人二人の署名のすぐ下に、証人の欄がある。私はその欄をいちばんよく見る。本人の欄は、たいてい緊張で固まっていて、どれも似た顔をしている。けれど証人欄の字は、それぞれに事情を抱えていて、雄弁すぎるほど雄弁だ。

多いのは、両家の父親が一人ずつ、という形だ。新郎の父と、新婦の父。署名の高さも、字の大きさも、なんとなく釣り合っている。どちらかが先に書き、もう一方がそれに合わせて筆圧をゆるめたり、字を整えたりしているのが見える。証人欄は、両家のあいだの、ささやかな政治の場でもあるのだろう。

若い二人だと、友人が二人並ぶことがある。父親たちの署名にくらべて、筆圧が若い。インクが濃く、止めや払いに勢いがある。同じ枠、同じ大きさの欄に、まるで違う二つの走り書きが並んでいるのを見ると、ああ、この人たちにはそれぞれの人生があるのだな、と思ったりした。

ときどき、片方の欄だけ、丁寧すぎる字のことがある。もう片方が家族の慣れた字なのに、その欄だけが、よそゆきの、頼み込んだ相手に書いてもらった字なのだ。頼んだ側の気遣いが、字の丁寧さに滲んでいる。私はそれを見て、この二人は証人を探すのに少し苦労したのかもしれない、と想像したりした。

証人欄の不備で、受理できないことがある。押印の漏れ、生年月日の書き間違い。そういうとき、私は「ここが空いていますね」とは言わない。「お祝いの席で、もう一度だけお願いできますか」とも言わない。事実だけを、欄の名前で伝える。「証人の方の、生年月日の欄を、ご確認いただけますか」。叱るのでもなく、慰めるのでもなく、欄を指す。それが、私の覚えた伝え方の技術だ。

大安の日は、届出が多い。一粒万倍日も。朝から窓口に列ができて、証人欄の確認だけで午前が過ぎていく。「記念日に受理日を合わせたい」という人もいる。閉庁日の夜間受付の箱に入った届は、その日のうちに受理されるわけではなく、預かり扱いになって、審査は翌開庁日に回る。それでも受理日は、箱に入れた日の日付になる。様式は、人の願う日付を、そうやってひとつだけ聞き入れる。

最近の庁舎には、婚姻届の記念撮影コーナーがある。届を手にした二人が、そこで写真を撮る。けれど証人欄に署名した人たちは、たいていその場にいない。父親も、友人も、それぞれの日常のどこかで、頼まれて、ペンを取って、署名をして、また日常に戻っていった。二人だけが写真に写り、欄の中の人たちは写らない。

三十一年、証人欄を見つづけてきた。証人欄は、結婚が二人だけの出来事ではないことの、様式上の名残なのだと思う。婚姻届のいちばん下の、あの二行の欄こそが、二人を支えてきた人々の、見えない絆の証なのだ。受理通知のはがきは、本人にだけ届く。けれど私は知っている。その紙の下のほうに、何人もの人生が、静かに署名していたことを。窓口の光は、今日もやわらかい。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。