コイデマナミ(44歳・スーパーの試食販売員20年)
土曜の二時、私はプレートが温まるのを待っている。開店から並べた爪楊枝は二百本。平日の同じ時刻なら七十本も使っていない。土曜のこの台で人を呼ぶのは、私の「いかがですか」ではない。焼ける匂いだ。だからウインナーが鳴るまで、私は声を出さない。
ウインナーの試食は、味を知らせる仕事ではない。匂いで足を止める仕事だ。焼く匂いはレジの行列のうしろまで届く。声は三メートル、匂いは売り場の端まで行く。私はプレートを少し高めに保ち、片面だけ、きつね色の手前で止める。焦げ目をつけすぎると、親が「うちでは焼きすぎかも」と袋を戻す。切り込みは斜めに浅く一本。そこから脂がはぜて、匂いがもう一段立つ。台には常に三本、湯気の立つものを残す。湯気の切れた台には、人が止まらない。
二時を過ぎると、子どもが並ぶ。爪楊枝を差し出すと、子はまず親を見る。私はすぐには渡さず、親のカゴを見る。同じ袋が入っていれば、子に渡して、それで終わり。入っていなければ、子が食べ終わる前に、二本目を親のほうへ差し出す。「お母さんに聞いてからね」。子が振り返り、親がうなずく。その一往復のあいだに、私のカゴ越しの算段は済んでいる。
二周目に来る子がいる。さっき食べた子が、列の最後尾にもう一度並んでいる。「もう一個」。この一言への答えは決めている。買う家の子には、笑ってもう一本。食べたいだけの子には、親のほうへ爪楊枝を向ける。冷たいのではない。買ってもらえる子と、食べたいだけの子は、列に並んだ時点で歩き方が違う。親の袖を引いて来る子と、一人で先に来て親を待つ子。後者は、たいてい二周目に来る。
土曜はメーカーの販促日と、店の特売日が重なる日がある。重なった日は、爪楊枝が三百本を超える。けれど報告書の比は上がらない。平日は二十人に一人が買い、特売の土曜は四十人に一人だ。特売の貼り紙で止まる人は、もう買うと決めて来ているから、私の匂いを要らない。匂いで止めるべきは、決めずに通路を歩いている人のほうだ。だから特売の日ほど、私はプレートの角度を通路の奥へ向ける。
夕方になると、別の時計が動く。精肉の担当が、隣の棚に値引きシールを貼って回る。試食で止まって、まだ迷っている親の手が、赤い数字を見て動く。私の匂いと、あの赤いシールは、同じ袋をめぐって時間を奪い合う。シールが先に貼られれば、その親は試食を取らずに棚へ行く。だから私は、貼り回る担当の背中を見て、その前に二本目を焼く。
完売は、たいてい五時を少し過ぎる。台のウインナーが残り三本になると、私はもう焼かない。匂いの仕事は、もう終わっているからだ。報告書に二つの数字を書く。土曜の今日は、爪楊枝が三百二十本、出た個数が八。三百二十人が止まって、八人が買った。比だけ見れば、平日に負けている。それでも私は土曜の台が嫌いではない。ここでだけ、子どもが親を振り返る一往復を、二百回見られる。