土曜の、ウインナー
ホットプレートの前に、子どもが並ぶ午後のこと

コイデマナミ(44歳・スーパーの試食販売員20年)

土曜の午後二時、外には柔らかな日差しが差し込んでいて、売り場にはどこか浮き立つような賑わいが満ちていた。私はホットプレートにウインナーを並べ、いつものように「いかがですか」と言う。けれど土曜のこの台で、本当に呼んでいるのは私の声ではない。焼ける匂いのほうだ。

ウインナーの試食は、味を知らせる仕事だと思われがちだが、本当は匂いで足を止める仕事なのだと思う。焼く匂いは売り場の端まで届く。レジの行列のうしろにいる人の鼻にも届く。だから私はプレートの温度を少し高めに保って、わざと音と煙を立てる。じゅう、という音が、私の「いかがですか」より三秒早く、人を振り向かせる。

土曜の二時を過ぎると、台の前に子どもが並ぶ。爪楊枝に刺したウインナーを差し出すと、子どもはまず親の顔を見る。私はその子に、すぐには渡さない。「お母さんに聞いてからね」。子どもが親を振り返り、親がうなずく。その一往復のあいだに、私は親のカゴをそっと見ている。すでに同じ袋が入っているか、いないか。それで渡し方を変える。

二周目に来る子がいる。さっき食べた子が、列の最後尾にもう一度並んでいる。「もう一個」。この一言には、答えを決めている。買う家の子には、笑ってもう一本渡す。食べたいだけの子には、「お母さんと一緒にね」と言って、親のほうへ爪楊枝を差し出す。冷たいのではない。二十年やっていると、食べたいだけの子と、買ってもらえる子は、列に並んだ時点で歩き方が違うのがわかる。

同じウインナーでも、焼き方で売れ行きが変わる。焦げ目は、つけすぎると親が「うちでは焼きすぎかも」と思って手が止まる。薄すぎると匂いが立たない。だから片面だけ、きつね色の手前で止める。切り込みも入れる。斜めに浅く一本。切り込みから脂がはぜて、匂いがもう一段立つ。焼く順番もローテーションを決めていて、常に三本は焼きあがった湯気の立つものが台にあるようにする。湯気の切れた台は、人が止まらない。

土曜はメーカーの販促日と、店の特売日が重なることがある。重なった日は、爪楊枝が飛ぶように減る。けれど比率は上がらない。特売の貼り紙で止まる人は、もう買うと決めて来ているから、私の匂いを必要としていない。匂いで止めるべきは、買うと決めずに通路を歩いている人のほうだ。私はその人たちのために、プレートの角度を通路の奥へ向ける。

夕方になると、別の時計が動きはじめる。精肉の担当が、ウインナーの隣の棚に値引きシールを貼って回る。試食で足を止めて、でも迷っている親の手が、シールの赤い数字を見て動く。私の匂いと、あの赤いシールは、同じ商品をめぐる時間勝負のようなものだ。完売の時刻は、たいてい五時を少し過ぎたあたり。台の上のウインナーが残り三本になると、私はもう焼かない。匂いの仕事は、終わっている。

土曜の試食台は、たぶん、家族の風景そのものなのだと思う。子どもが親を振り返り、親がうなずき、爪楊枝が一本、また一本と減っていく。焼けるウインナーの匂いは、どこの家の台所にもある匂いで、だからこそ人は足を止め、土曜の午後を少しだけ立ち止まる。私はその匂いの真ん中に立って、ただ「いかがですか」と言い続けている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。