コテガワユメ(29歳・遊園地のキャラクターアクター7年)
声を出さない仕事をしている。被り物の中に入って立つ。声はキャラクターのものだから、中の人間が出してはいけない。だから手を広げて驚き、肩を落として悲しみ、両手で頬を包んで会えたうれしさを出す。言葉の代わりに、身振りで七年やってきた。
被り物の視界は、斜め下しかない。目の位置から覗くわけではないから、正面は見えない。見えるのは、私の前に立った人の足元だけだ。研修の初日、先輩に言われた。「顔は見えなくていい。足を見ろ。走ってくる足、止まる足、後ずさる足」。
一日立って、分かった。駆け寄る子は、つま先で地面を蹴る。止まる子は、つま先がこちらを向いたまま、かかただけが半分、親のほうへ回る。怖い子は、親の足の後ろに片足だけ入れて、運動靴の先だけがこちらを覗く。私はその足たちに、声のいらない返事をする。しゃがむ。立ったまま手を出すと被り物の影が子にかぶさるから、膝を地面につけて、自分を子より低くしてから、手のひらを上に向けて待つ。来てくれたら、指を包む。子どもの骨は細い。親指と人差し指のあいだに、その細さがそのまま乗る。だから握らない。下から支えるだけにする。
ひとりでは立っていられない。横にはいつもアテンドがいる。視界の狭い私の代わりに周りを見て、背中で合図をくれる。一回叩けば右にお客さん。二回で移動。肘に手が触れたら、止まれ。観客に見えないところで、私たちは背中と指先で会話している。私が見ているのは足、アテンドが見ているのは私。その二段重ねで、私は前に立てている。
夏は、被り物の中が四十度を超える。背中に保冷剤を二つ入れる。ひとつは二十分でぬるくなるから、列の切れ目、アテンドが「移動」の二回を叩いたその裏で、控えのもう一つと入れ替える。手は止められない。振り返さない住人を、子どもは見たことがないから。夜、家の風呂で、腕が肩より上に上がらない。湯の中で、振り続けた高さに腕を持ち上げてみて、今日もそこまで上げていたのかと知る。
グリーティングには終わりの時間がある。列のうしろのほうに小さな運動靴が見えると、頭の中で割る。残り何分、ひとり何秒。最後の子のつま先が、列に並んだまま、何度も伸び上がっているのが見えた日があった。私はその手前の子たちで一秒ずつ削って、最後の子の前で、いつもよりゆっくりしゃがんだ。間に合わせた、のではない。間に合わせるために、前で少しずつ盗んだ秒を、その子に渡しただけだ。
あの研修から七年が過ぎた。被り物を脱いだ帰りの電車で、私は人の足元を見ている。つり革につかまる人のつま先が、降りる駅の方向へもう向いている。ドアの前で、行こうか待とうか、かかとが浮いている。誰も私に駆け寄ってはこないし、私はもう、しゃがまなくていい。それでも目は、斜め下を見ている。