開店の、幟(第二稿)
書体を指でなぞらせる相談から、跡地の前に立つ一本まで

コトウマヒル(48歳・旗と幟の染物職人26年)

開店の幟の注文は、書体の相談から始まる。「祝開店」と店名。それだけのことに、店の人は迷う。私は帳面の余白に二通り書いて見せる。太い字と、丸みのある字。店の人は自分の店の名を指でなぞって、ここはもっと丸く、と言う。指が止まったところに、その店の文字が決まる。帳面の店名の脇に、挿しの色と、緋なら三度、と回数を控える。

馴染みの注文は、字を覚えている。ラーメン屋の「営業中」、八百屋の特売の幟。同じ店から、傷んでは染め直しで来る。営業中の三文字でも、ラーメン屋のは横画を太らせ、隣の定食屋のは細い。店の名を見なくても、字の太さで誰の幟かわかる。私は二十六年、この通りの字を、太さで覚えてきた。

去年、催事屋がプリントの幟を一本持ち込んできた。ポリエステルに機械で刷った「祝開店」。これと同じのを安く、十本、と言う。色は端から端まで均一で、緋に挿しムラが一つもない。私はそれを断った。同じものは染められない、と言ったのではない。同じものなら、刷ったところで頼めばいい、と言った。催事屋は笑って帰った。値段が一桁違う仕事を、私は取りに行かない。

手で染めると、挿しムラが出る。緋が、布の場所ごとに少しずつ濃さを変える。プリントにはそれがない。手染めを選んだ客は、その不揃いを見て「味があるね」と言う。私は味のつもりで染めていない。挿しムラは、刷毛を返す手首の速さが場所で変わる、ただそれだけのことだ。客が味と呼ぶものを、私は手首の癖と呼ぶ。どちらが正しいとも、私は言わない。

三年前に開店の幟を染めた店から、「閉店御礼」を頼まれた。書体を一緒に迷って、店名をもっと丸く、と指でなぞった、あの店だ。私は帳面を繰った。三年前の頁に、店名の太さと、緋三度、と私の字で控えてある。閉店御礼も、その太さに合わせて書いた。開いた日と同じ字で閉じる。それだけのことを、私は感傷とは別の手でやった。糊も緋も、祝開店と同じだった。

屋外の幟は、日の当たる側から緋が抜ける。半年で薄桃、一年で生成りに近づく。染め直しの注文が来ると、私はまた帳面を繰る。だが褪せた一枚に、もとと同じ緋を三度では足りない。褪せた布は染料の入りが変わっている。前の三度より一度深く挿して、ようやく隣に立つ新品と濃さが合う。同じ濃さに戻すのではない。褪せた分だけ深く重ねて、はじめて同じに見える。

夏の祭りで、商店街の幟を何十本も一度に染めた。納めたあと、私はその通りを歩いた。八百屋の前、ラーメン屋の前、横画を太らせた営業中。通りの端に、空き店舗の跡地がある。三年前に閉店御礼を染めた、あの店だ。跡地の前にも、祭りの幟が一本立っていた。私の染めた緋が、風で表になり裏になりしていた。私はその前で足を止めた。

← 第一稿
辛口レビュー
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。