コウノアサコ(56歳・出版社校閲部勤務32年)
校閲の仕事を三十二年続けている。机の上にはいつも、赤鉛筆と、よく削ったHBの鉛筆が並んでいる。赤は印刷所への指示、鉛筆は著者への疑問。直せと言うときは赤、訊くときは鉛筆。この二本の使い分けを覚えるのに一年かかり、使い分けに迷わなくなるのに、もう一年かかった。
校正記号の中に、「ママ」という二文字がある。意味は「原文のまま」。つまり、そこに間違いがあるのを知っていて、なお直すな、という符号である。間違いを見つけるのが仕事の人間が、間違いを見なかったことにするのではなく、見た上で、残す。数ある校正記号の中で、ママだけが、何も直さない。
入社二年目の秋だった。窓の外には冷たい雨が降っていて、校閲部の部屋には紙とインクの匂いが静かに満ちていた。私の机には、七十代の随筆家のエッセイ集のゲラが置かれていた。戦前の生まれの方で、文章のあちこちに旧仮名が顔を出す、味のある原稿だったと思う。
その中の一篇に、著者が亡くなったお母様から受け取った葉書が引用されていた。「東京は寒いでせうから、お体に気おつけて」。「でせう」は旧仮名だから、いい。問題は「気おつけて」だった。「気をつけて」の誤りであることは、誰の目にも明らかだった。私は鉛筆を取り、欄外に小さく書いた。「をつけて、では?」
一週間ほどして、ゲラが著者から戻ってきた。私の鉛筆の疑問には、万年筆の線が一本、静かに引かれていた。そしてその横に、二文字。「ママ」。それだけだった。説明は何もなかった。
隣の席の班長に、ゲラを見せた。班長は三十年選手で、ナイフで赤鉛筆を削りながら仕事をする人だった。班長はゲラを一瞥して、削る手を止めずに言った。「お袋さんの字なんだろう」。それだけだった。私はしばらく、その意味を考えていた。著者のお母様は、「気おつけて」と書く人だったのだ。それを直してしまえば、葉書は正しくなるけれど、お母様はいなくなってしまう。間違いはその人の一部なのかもしれない、と思った。
それから数ヶ月後の冬、別のゲラで、戦時中の少年の日記が引用されている箇所に出会った。「敵の飛行機が来て、とてもびっくいした」。びっくりした、の誤りだろう。書いたのは十二歳の少年だった。私は鉛筆を持って、少し迷ってから、欄外に「ママ」と書いた。誰かに訊く前に、手が先に動いていた。それが、私が初めて書いた「ママ」だった。
あれから三十二年。何千回「ママ」と書いたか、もう数えていない。校閲とは間違いを正す仕事だと思われがちだが、本当は、何を直して何を残すかを決める仕事なのだと、いまでは思う。「ママ」は間違いを許す記号ではなく、人をそのまま残すための記号なのだ。あの雨の日に受け取った二文字が、私をいまの私にしてくれた。机の上の赤鉛筆と鉛筆は、今日も静かに並んでいる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。