クマノセイ(55歳・種麹屋33年)
種を売って、それで終わりではない。むしろ売った後のほうが長い。秋から冬にかけて、私は得意先の蔵をまわる。自分が出した種が、その蔵でどう育っているかを見にいく仕事だ。出張鞄に、注文台帳の控えと、白衣をひとそろい入れる。同じ種でも、蔵に入れば蔵のものになる。それを確かめにいくのが、種屋のもうひとつの務めなのだ。
麹室には、蔵ごとに癖がある。同じ番号の種を、同じ量だけ振っても、立ち上がる胞子の様子が蔵によって違う。北陸のある蔵では、二日目に黄がふっと深く沈む。九州の蔵では、同じ種がもう少し浅いところで止まる。室の温度、湿度、それから何十年とその蔵に棲みついた蔵付きの菌との、目に見えないやりとり。種は私が渡すが、そこから先は蔵の領分なのだろうと思う。
「今年は乾きが早い」。麹室に入るなり、杜氏がそう言うことがある。現場の声は、たいてい一言だ。私はその一言から、原因がどこにあるのかを切り分けていく。種のロットか、作業の手順か、それともその年の気候か。台帳をめくって、去年と同じロットを送ったことを確かめる。乾きが早いのは、種のせいではなく、その秋が乾いていたからだった。けれど現場は、まず種を見る。種が血統なら、出来が変わったのは血のせいかもしれないと、誰でもそう考えるのかもしれない。
新しい蔵を開拓するのも、まわる仕事のうちだ。近頃は、世代交代の蔵が増えた。先代から息子へ、あるいは外から来た若い造り手へ。代が替わると、取引も少しずつ変わる。面白いのは、若い人ほど質問が細かいことだ。先代は「いつものを」と言うだけだったのが、息子は「このロットの酵素力価は」と訊いてくる。数字で確かめたい世代なのだろう。私はそれに、数字で答えられるようにしておく。
よその蔵に入るには、作法がある。前の晩から、納豆は食べない。納豆菌は強い。麹菌の何倍も強くて、一度蔵に入れば麹を駆逐してしまう。だから造りの時期、蔵人は納豆を断つ。私のような外から入る人間は、なおさら気をつける。これは精神論ではなく、菌と菌のあいだの、ただの力関係の話だ。蔵の戸口で白衣に着替え、手を洗い、長靴を履き替える。誰に教わったわけでもなく、業界の決まりとして、淡々とそうする。
四十年以上付き合っている蔵がある。先代の、そのまた先代からの取引だ。台帳をさかのぼると、注文の種類がその蔵の歴史になっている。ある年から黒麹の注文が入りはじめ、数年で消えた。焼酎に手を出して、やめたのだろう。番号の変遷が、その蔵が何を試み、何をやめたかを、静かに語っている。種の注文の記録は、蔵の履歴書のようなものなのだ。
まわる先々で、試飲と試食をする。自分の種が育った酒を、味噌を、舌で確かめる。これは検品ではない。種を渡したところから先、蔵がそれをどんな味まで連れていったかを、ただ知りたいのだと思う。同じ番号の種が、北陸では澄んだ辛口になり、九州では丸い甘口になる。私の手を離れたものが、こんなに遠くまで行くのかと、毎年同じところで驚いてしまう。
帰りの列車で、訪問メモを書く。室の温度、現場の一言、味の印象。書きながら思うのは、種を売るのが種屋の仕事だと長く思ってきたが、本当はその後を見届けるところまでが、種屋の仕事なのだということだ。種の後を見届けるのが種屋なのだと、揺れる窓の景色を見ながら、私はそう書きつけた。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。