核は強い。父の「うちが売ってるのは粉じゃない。菌の血統だ」、蔵からの「今年の麹の出来が、去年と違う」という電話、そして種が血統なら味の変化を血のせいと疑ってしまう蔵の人の心理。この三点でエッセイは立つ。問題は、書き手がその三点を信用せず、「千年の発酵文化」という借り物の額縁で全体を囲い、最終段で主題を自分の口から説明し、自分を赦して終わっていることだ。とりわけ致命的なのは、衛生にいちばん厳しいはずの種麹屋を語り手にしながら、肝心の場面の手つきが伝聞と曖昧語でできていること。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「菌の血統が、俺をいまの俺にしてくれた。色も、清潔も、蔵の電話も、すべてはあの父の一言から始まっていた。」
成長譚の判子を自分で押して終わっています。「俺をいまの俺にしてくれた」は、どの起源神話エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、クマノセイである必然がない。しかもその直後に「色も、清潔も、蔵の電話も」と本文の要素を箇条書きで回収してしまっている。読者が自分で結ぶべき線を、作者が先に引いてしまっています。
「酒も味噌も醤油も、千年続く日本の発酵文化の、いちばん上流にうちのような店が立っている。」
「千年続く日本の発酵文化」は、種麹屋が自分の店を語るときに最も使わない種類の言葉です。これは観光パンフレットか生成モデルの語彙であって、毎朝棚の番号を見ている人間の語彙ではない。本人が本当に上流を実感しているなら、出てくるのは「千年」ではなく、自分が送った一袋がどの蔵のどの仕込みになったか、という具体のはずです。額縁が人物より先に立っています。
「父はそんなふうに教えてくれた気がする。」「父も祖父も、そこだけは決して妥協しなかったと聞いている。」「血のせいではないかと、誰でもそう考えるのかもしれない。」
種麹屋は雑菌が一粒混じれば全量を捨てる、断定で生きている職業です。その語り手の回想が「気がする」「と聞いている」「のかもしれない」で薄まっているのは、若い頃の頼りなさの描写ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに「教えてくれた気がする」は致命的で、九代目を背負わされた一言を、本人が伝聞のように扱うはずがない。覚えているなら覚えていると書くべきです。
「棚の一本一本に番号が振ってあって、清酒用、焼酎用、味噌用と、用途で分かれている。」
これは説明であって観察ではない。実際に三十三年その棚の前を通っている人間なら、番号の振り方の癖(祖父の代の手書きか、何番台が清酒かといった分類の身体的な記憶)が一つ出るはずです。胞子の色も「黄、白、黒」と教科書通りに並べただけで、実際に採るときの色の見え方——湿った蒸し米の上で胞子が立ったときの色の変化——には一行も触れていない。色を性質と言いながら、その色を見た描写がありません。
「原因が種にあるのか、蔵の温度や水や手順にあるのかを切り分けるのが、こちらの仕事になる。同じ種を送っているのなら、変わったのは蔵のほうだ。」
このエッセイでいちばん面白い瞬間が、ここで概念のまま素通りされています。切り分けとは具体的な手続きのはずで、保存してある同一ロットの種で自分の店で試し麹を立ててみる、出荷記録を遡る、といった動作があるはずです。それを「切り分けるのが仕事だ」と要約してしまうと、種屋が蔵に対して持つ唯一の客観的な拠り所——自分の手元に同じ血統が残っている——という強みが消える。手つきを書かないと、職業が看板だけになります。
「種が血統なら、味が変わったのは血のせいではないかと、誰でもそう考えるのかもしれない。」「根は、地面の下にあるから根なのだ、と。」
前者は、父の「菌の血統だ」と蔵の電話が並べば読者が自分で気づくことを、作者が先回りして言葉にしています。後者の「根は地面の下にあるから根なのだ」は、いかにも箴言らしく作られた一文で、父にそう言わせることで謙虚さを演出しているが、実際には作者が主題を一行で要約しているだけです。父の口を借りた要約は、要約であることがすぐ分かります。
「血統、という言葉が妙に耳に残った。」
この一文は、医者の回想にも、職人の回想にも、そのまま置ける汎用文です。なぜ耳に残ったのか——その日まで菌を「商品」だと思っていたのに、父が「血」と呼んだことで、自分が継ぐのは在庫ではなく系譜だと気づいた、というような中身を書かなければ、人物の動揺は存在しないのと同じになります。
残すべきは三つ。父の「うちが売ってるのは粉じゃない。菌の血統だ」、蔵からの「出来が去年と違う」の電話、そして自分の手元に同じ種が残っているという切り分けの拠り所。削るべきは、「千年の発酵文化」の額縁、「気がする」「聞いている」の留保語尾、最終段の主題解説と自己赦し。改稿では、胞子の色を一度でいいから実際に見た色として書き、味が変わったという電話に対して同じロットの種で試し麹を立てる動作を入れてください。菌に血統があるという主題は、説明ではなく、その一回の試し麹が運びます。