クマノセイ(55歳・種麹屋33年)
うちは種麹屋だ。蒸した米に麹菌を育て、立った胞子を採って粉にし、酒蔵や味噌蔵や醤油蔵に売る。胞子の粉を、もやし、と呼ぶ。九代目になる。家業に入ったのは一九九三年、二十二歳のときだ。
奥の棚に、種菌の系統が並んでいる。一本ずつ番号が振ってある。番号は祖父の手書きで、清酒用が一番台、焼酎用が三番台と、桁で用途が分かれる。十二番が分からなくなって父に訊いたら、それは祖父が一度だけ別の蔵に分けた味噌用だと、桁を見ずに即答した。覚えているのではなく、桁が体に入っているのだと、そのとき思った。
胞子には色がある。黄、白、黒。教科書ではそう習う。だが採るときに見るのは、蒸し米の白の上に、最初うっすら黄緑がさして、二日かけてそれが沈んだ黄になっていく、その変化のほうだ。黒麹は同じ白米の上で、灰がかった暗い色に伸びる。色は見た目ではなく、その菌が何をする菌かという、性質そのものだった。黒はクエン酸を出すから南の暑い土地でも腐らない。
種麹屋の仕事の半分は、清潔だ。雑菌が一粒混じれば、その種は全量捨てる。蔵は麹を育てる場所だが、うちは菌を純粋なまま保つ場所だから、衛生は蔵より厳しい。父はそこだけは一度も妥協しなかった。
入って間もない頃、父が棚の前で言った。「うちが売ってるのは粉じゃない。菌の血統だ。蔵の味は、うちの種から始まる」。その日まで、私は棚の一本一本を在庫だと思っていた。血、と父が呼んだので、自分が継ぐのは品物ではなく系譜なのだと分かった。番号の桁が、急に重くなった。
ある秋、長く取引のある酒蔵から電話が来た。「今年の麹の出来が、去年と違う」。声が、種を疑っていた。種が血統なら、味が変わったのは血のせいだと考えるのは自然だ。私はその場で約束はせず、保存してある同じロットの種を取り出した。自分の店の麹室で、いつもの蒸し米に、いつもの量を振った。三日後、立った胞子は去年と寸分違わぬ黄に沈んだ。血は変わっていなかった。変わったのは蔵の水温で、それを電話で告げるのは、こちらにとって気の重い仕事だった。
同業は全国に数軒しかない。日本の酒と味噌と醤油の発酵が、その数軒の種から始まる。誇る話ではない。私が試し麹を立てて確かめられるのは、私の手元に同じ血統が一本残っているからで、それだけが、蔵に対して種屋が言えることの全部だ。
三十三年、何千袋の種を出したか数えていない。覚えているのは、出した種ではなく、捨てた種のほうだ。雑菌の入った棚を一段まるごと焼いた日の匂い。あの黄が、いつもの黄に沈んだ朝。私は今も毎朝、祖父の番号の前を通る。