辛口レビュー
——「ふすまの、行き先」第一稿について

核は強い。歩留まりと白さのトレードオフ、ふすまが牛の飼料になって畜産農家を支えていること、白い粉と全粒粉では頭の使い方が逆になること。この三点は、二十三年挽いてきた人間にしか書けない。問題は、書き手がその三点を信用せず、「もったいない」という出来合いの精神に何度も寄りかかり、最終段で「皮まで使い切るのが粉屋なのだ」と主題を直叙して回収してしまっていることだ。歩留まりの数字も、飼料の出荷も、ふすま置き場の匂いも、書けば立つのに、書く前に意味づけが先に来てしまっている。

1. 「もったいない」の常套に三度すがっている

「もったいないという日本人の心は、こういう仕事のなかにこそ生きているのかもしれない。」/「もったいないという言葉は、精神論ではなく、こういう仕組みのことを指すのだと思う。」

同じ「もったいない」を、冒頭で情緒として、終盤で工学として、二度持ち出している。しかも一度目は「日本人の心」という最も安い回路に接続してしまった。製粉所が屑を出さないのは民族の美徳ではなく、ふすまに買い手がいて、置き場と定期便という流通があるからです。仕組みを書けば「もったいない」という語は要らない。語に頼った瞬間、目の前のふすまの山が、標語のための例に格下げされる。

2. 留保語尾が、職人の手を曖昧にする

「もうこの匂いも体の一部のようになっているのかもしれない。」/「長年やってきた勘のようなものに頼っているのかもしれない。」(※後者は前作からの癖)

ふすま置き場に二十三年通った人間が、その匂いと自分の関係を「のかもしれない」で片づけるはずがない。慣れたなら慣れた、もう感じないならそう言えばいい。「〜かもしれない」は、断定を避ける作者の保険であって、職人の口ではない。前作のレビューでも同じ指摘をしたのに、また「勘のようなもの」が出かかっている。勘という言葉で逃げず、何を見て何を触って決めているかを書くこと。

3. 飼料の場面を、感情で受けてしまった

「考えてみれば、粉屋は粉を売っているだけではない。粉にならなかった部分を通じて、牛も、その牛を育てる農家も、静かに支えているのだ。」

「静かに支えている」は語り手の自己評価であって、観察ではない。粉屋と農家のつながりを書きたいなら、トラックの運転手の顔か、ふすまが何キロでいくらで引き取られるのか、月に何度来るのか、雨の日に荷台へ濡らさず積む手順か——取引の手ざわりを出すべきです。「支えている」と言った瞬間、せっかくの定期便が美談の小道具になる。支えているかどうかは読者が決める。

4. 「時代は変わる」で締めて観察を捨てている

「これまで捨てる部分とされてきたものが、商品として求められるようになった。時代は変わるものだと、つくづく思わされる。」

「時代は変わる」は、どの職業エッセイの末尾にも貼れる汎用シールです。ブランパンの注文が来たなら、書くべきは感慨ではなく差異だ——食用ふすまは飼料用とは別物で、粒度も衛生基準も違うはずで、おそらく挽き直しや別ラインが要る。同じ「ふすま」という語の下で、牛へ行くものと人へ行くものがどう分かれるのか。そこにこそ「時代の変化」が手の作業として現れる。感想で済ませた分、現場が消えた。

5. 全粒粉のくだりに、観察ではなく説明が立っている

「白い粉はいかに皮を分けるかの技術で、全粒粉はいかに皮ごと均一に砕くかの技術だ。同じロール機でも、頭の使い方が逆になる。」

ここは核に近い。だが「頭の使い方が逆になる」は要約で、手の動きが見えない。白い粉なら篩いの網を細かくして皮を弾き出す。全粒粉なら、その弾き出したふすまを戻して挽き込むのか、最初から篩いを変えるのか。隙間の設定はどう違うのか。前作で「ロールの隙間をわずかに開け」と書けた人なら、ここも具体で書けるはずです。逆だと言うだけでは、逆の中身が空っぽのまま。

6. 最終段の主題直叙・自己赦し

「皮まで使い切るのが粉屋なのだ。」/「白い粉だけを見ていた若いころより、いまの自分のほうが、ずっと遠くまで小麦を見送れるようになった気がする。」

前者は主題文そのもの。エッセイの主題を主題文として書いたら、それは要約です。後者は成長譚の判子を自分で押す自己赦しで、前作のレビューで「色は、もうほとんど見ない。覚えているのは、指が返してきた重さのほうだ」と動作で締められた人が、なぜここで「見送れるようになった気がする」と感想に戻るのか。「遠くまで見送れる」と説明する代わりに、定期便を見送る一つの動作を置けばいい。意味は動作が運ぶ。

7. 「歩留まり」が数字になっていない

「同じ小麦から七割五分の粉を取る挽き方と、七割しか取らずにもっと白くする挽き方がある。」

この一行は良い。良いのに、ここで止まっている。七割五分と七割の差は、一トンの小麦でふすまが何キロ増えるのか。その差が飼料の出荷量に、得意先の白さの注文に、どう跳ね返るのか。前作の「容積重が八一二、去年より十八低い」のように、この書き手は数字を手の話に翻訳できる人です。歩留まりという核の語を出したのに、トレードオフを概念のまま置いた。数字で押せば、白さとふすまが一本の天秤に乗る。

総括——残すべき核

残すべきは三つ。歩留まりと白さのトレードオフ(数字で)、ふすまの定期便と畜産農家のつながり(取引の手ざわりで)、白い粉と全粒粉で篩いの設計が逆になること(手の動きで)。削るべきは、二度の「もったいない」、「日本人の心」、留保語尾、「静かに支えている」、「時代は変わる」、そして最終段の「皮まで使い切るのが粉屋なのだ」という主題直叙。改稿では、ふすま置き場の匂いを「のかもしれない」で逃げずに一つの具体で押さえ、定期便を見送る動作で閉じること。説明を一つ削るたびに、ふすまの山が一つ立ち上がる。

← 第一稿
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの辛口レビューはAIによる独立の読者視点として生成されました。