ふすまの、行き先
粉にならなかった部分の、その後

クマザワダイチ(45歳・製粉所の職人23年)

小麦を挽けば、必ずふすまが出る。ふすまというのは小麦の皮の部分で、ロール機で砕いて篩い分けていくと、白い胚乳の粉とは別に、茶色い粗いものが残っていく。これが粉にならなかった部分だ。捨てるものだと思われがちだが、製粉所では一粒たりとも無駄にはしない。もったいないという日本人の心は、こういう仕事のなかにこそ生きているのかもしれない。

どれだけ白い粉を取るかは、どれだけふすまを出すかと表裏一体だ。歩留まりという。同じ小麦から七割五分の粉を取る挽き方と、七割しか取らずにもっと白くする挽き方がある。白さを欲張れば歩留まりは落ち、ふすまの山は高くなる。逆に歩留まりを上げれば、粉に皮の粉がわずかに混じって、色がくすむ。得意先が求める白さと、こちらが残したい歩留まり。その釣り合いの点を、毎日の挽き分けのなかで探っていく。

出たふすまは、置き場に溜めていく。製粉所の裏手に、ふすま専用の置き場がある。あそこに足を踏み入れると、独特の匂いがする。香ばしいような、少し饐えたような、なんとも言えない匂いだ。長年やっていると、もうこの匂いも体の一部のようになっているのかもしれない。

溜まったふすまには、引き取りのトラックが定期便で来る。近隣の畜産農家へ運ばれて、牛の飼料になるのだ。ふすまは栄養があって、家畜の餌として昔から重宝されてきた。考えてみれば、粉屋は粉を売っているだけではない。粉にならなかった部分を通じて、牛も、その牛を育てる農家も、静かに支えているのだ。一つの小麦が、人のパンと牛の餌の両方になって出ていく。

ところが近年、そのふすまに別の行き先ができてきた。食用のふすまの需要だ。ブランパンというのだろうか、ふすまを使った低糖質のパンが流行って、食物繊維の豊富さが見直されている。健康志向の高まりとともに、これまで捨てる部分とされてきたものが、商品として求められるようになった。時代は変わるものだと、つくづく思わされる。

全粒粉の注文も増えてきた。全粒粉というのは、ふすまを取り除かずに、小麦を皮ごと挽き込んだ粉だ。白い粉を挽く技術と、全粒粉を挽く技術は、実はまったく別の設計になる。白い粉はいかに皮を分けるかの技術で、全粒粉はいかに皮ごと均一に砕くかの技術だ。同じロール機でも、頭の使い方が逆になる。長くこの仕事をしてきたが、新しい注文には、いまだに学ばされることばかりだ。

製粉所には、屑というものが出ない。粉になるものは粉に、ならなかった皮はふすまに、それも飼料に、いまでは食品に。小麦は皮の一枚まで、行き先を持っている。もったいないという言葉は、精神論ではなく、こういう仕組みのことを指すのだと思う。一粒の小麦をどこまで使い切れるか。それを工学的に突き詰めてきたのが、製粉という仕事なのだ。

夕方、引き取りの定期便が裏手に着く音がする。今日出たふすまが、また牛のもとへ運ばれていく。粉にならなかった部分にも、ちゃんと行き先がある。皮まで使い切るのが粉屋なのだ。それを思うと、白い粉だけを見ていた若いころより、いまの自分のほうが、ずっと遠くまで小麦を見送れるようになった気がする。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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