クラタジュンジ(57歳・仏壇修復師35年)
仏壇の修復を、業界では「お洗濯」と呼ぶ。古い仏壇を一度ばらばらに分解し、洗い、金箔と漆と金具を直して、また組み直す。数か月仕事だ。三十五年、この手順の中で働いてきた。
修復部門に入った一九九一年、二十二歳の春に、最初に運び込まれたのは、ある旧家の背の高い金仏壇だった。台輪の框が痩せて角が丸み、宮殿の柱に虫の通った筋がいくつもあった。木がここまで枯れて軽くなるには、最低でも四代はかかる。百年は超えていた。扉を開けると、内側は線香の煤で真っ黒だった。
親方が言った。「仏壇はな、七つの職人の寄り合いだ。木地、彫刻、漆、金箔、蒔絵、錺金具、組立。直す奴は、その全部の言葉が分かってないといけない」。私はその仏壇の前で、彫刻の流派の名を一つも言えなかった。木地の継ぎ目を、漆の縮みと取り違えもした。七人分の言葉のうち、私はまだ一語も持っていなかった。
分解から始まった。柱を抜き、欄間を外し、宮殿の屋根をばらし、引き出しの金具を一つずつ取る。外した部品には、結んだ麻紐に「右脇・上段・三」と札を書いて下げ、置いた順に写真を撮る。何百と出た。組み直しのとき、番付を一つ取り違えると、似た寸法の柱が一本入らず、そこから先が全部詰まる。私は札の字を、間違えても読めるように大きく書いた。
洗いに入った。煤は、線香の脂が何十年も積もった層だ。薬を含ませた布で、宮殿の天井の格間を一つずつ拭う。黒い脂が、布の上で飴色に溶けて移っていく。三度、四度と布を替えると、格間の奥から金箔の押し継ぎの線が出てきた。死んだと思っていた面ではない。最初から金は、煤の下で待っていただけだった。
欄間の牡丹が、花弁を一枚、根元から欠いていた。親方が「補え」と言う。残った花弁を指でなぞると、古い彫り手は刃を浅く、左から右へ送る癖の人だった。私は新しい木を継ぎ、その癖に合わせて彫った。自分の手は深く入りすぎる。一枚目は浮いて見え、二枚目も違い、結局その牡丹だけで十日かかった。直すとは、自分の癖を消して、死んだ職人の癖を真似ることだった。
金具を打ち直し、漆を直し、組み直した。納品の日、旧家の仏間に据え、ご当主の前で確認していただく。お性根入れの前だ。その家は浄土真宗大谷派で、ご本尊の位置も、脇の十字の名号も、宗派の決まりがある。直す前に作法を頭に入れていなければ、組む向きを一つ間違える。ご当主が手を合わせた。洗った格間の金が、仏間の窓の光を返した。
三十五年で、ばらして組み直した仏壇は数え切れない。一台ずつのことは、もう覚えていない。覚えているのは、布に移った飴色の脂と、十日かかった牡丹の浅い刃と、左から右へ送るあの人の癖だ。私はそのとき初めて、七人のうちの一人の言葉を、確かに聞いた。