クロダシゲル(72歳・元銭湯主人)
湯を落としてしまえば、あとに残るのは物ばかりだ。二〇一九年に店を閉めたとき、私の前には五十年分の道具が、急に行き場をなくして並んでいた。湯のなくなった脱衣場は、夕暮れの光がいつもより淋しく差し込んで、それまで気づかなかった物の多さを、私に教えてくれるようだった。
いちばん数が多かったのは、ケロリンの桶だ。黄色い樹脂の桶で、底に赤い字で薬の名が刷ってある。湯屋の桶といえばこれだった。数えたら四十個あった。長く使ったやつは、黄色が湯に灼けて白っぽくなり、字も縁のあたりから擦れて、半分ほど読めなくなっている。重ねると、新しいのと古いのとで、色の段ができていた。
欲しいという人が、案外いた。隣町の若い夫婦が「家の風呂で使いたい」と十個持っていった。近所の整骨院が五個。あとは常連が一個ずつ、形見のように抱えて帰った。残った分は、駅前にできたカフェが「全部ください」と言った。内装に使うのだという。湯屋の桶が、コーヒーを出す店の棚に載るというのが、私にはどうにも飲み込めなかった。
下足札も、行き先が決まった。脱衣場の壁にずらりと掛かった、桐の木の番号札だ。これは、常連が「自分の番号を持って帰りたい」と言い出した。来るたびに同じ札を抜く人が、長年やっていると、何人もいる。なかでも一人、三十年ずっと二十三番だった男がいた。最後の日、その人は二十三番を返さずに、上着の内に入れて帰っていった。木の札は、人の手の脂で、番号のあたりだけ飴色に光っていた。
ロッカーは、中古の業者に来てもらった。脱衣場の鉄の戸棚が、ずらりと二十四本。業者は一本ずつ蝶番を開けて、錆を確かめて、電卓を叩いた。「これだけ揃ってると、まあ、これくらいですかね」と出した見積もりは、思っていたより、ずっと安かった。私は何も言わず、その紙にうなずいた。物の値打ちというのは、使った年月とは関係がないらしい。
番台は、解体した。三尺高い、あの木の箱だ。私が十六から六十五まで座った場所だが、誰も欲しがらなかったし、私も持っていく家がない。大工に頼んで、ばらしてもらった。板になってしまえば、ただの古材だった。半世紀座った場所が、午後のうちに、ひと山の板きれになった。
脱衣場の体重計だけが、最後まで残った。針の振れる、古い台秤だ。重い鉄の塊で、引き取り手がない。業者も「これはちょっと」と首を振った。仕方なく、私が家に持って帰った。いまは玄関に置いてある。客の誰でもない、私と女房が、毎朝そこに乗る。針はあいかわらず、二キロほど多めに出る。直さないまま、私はそれに乗りつづけている。
先ごろ、例のカフェに入ってみた。棚の上に、見覚えのある黄色が並んでいた。私の桶だ。値札のついた木箱に「レトロ雑貨」と書いた札が添えてあって、若い客が一つを手に取り、「かわいい」と笑っていた。湯屋で四十年、人の垢を流してきた桶が、コーヒーの香りのなかで雑貨と呼ばれている。私は可笑しいような、淋しいような気持ちで、コーヒーを一杯飲んで帰った。
道具たちは、散っていった。けれど、それぞれの場所で、第二の人生を生きているのだと思う。桶はカフェで、下足札は誰かの引き出しで、体重計は私の玄関で。物は捨てられたのではなく、形を変えて生き直しているのだ。そう思うと、湯を落としたあの淋しさも、いまでは静かな慰めに変わっている。散っていった道具たちこそが、店を閉めた私への、いちばんの餞だったのかもしれない。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。