アームの、強さ(第二稿)
景品担当一年目、「あと少し」を設計すると知った日

クルスアオイ(26歳・ゲームセンターの景品担当6年)

クレーンゲームの景品を、どの角度で、どれくらいの隙間で、どんな滑り止めシートの上に置くか。それを決める仕事を六年している。アームの設定をいじらなくても、置き方ひとつで台は「取れる台」にも「取れない台」にもなる。

二〇二〇年、二十歳でこの店に入った。最初に覚えたのは原価率だった。原価二百円のぬいぐるみを、私たちは一個あたり八百円の売上を見込んで設定する。アームの握力を三段階のどれにするか、何回に一回しっかり掴むかで、その八百円が六百円にも千二百円にも動く。景品の置き方は、かわいさの話ではなく、この差額の話だった。

店長は無口な人だった。配置替えをしている私の隣で、ぬいぐるみを一個だけ動かして、ひとことだけ言った。「取れない台は嫌われる。取れすぎる台は潰れる。客が『あと少しだった』と思う台だけが生きる」。それから奥へ戻っていった。私はそのぬいぐるみのタグを、店長が置いた位置から五ミリだけ手前に戻した。店長は何も言わなかった。

「あと少し」は手で作る。箱物なら、滑り止めシートを半分だけ折る。折った側は爪が滑り、折らない側は引っかかる。景品の重心を、滑る側に二割だけ乗せておく。アームは持ち上げる。少しずれる。落ちる。取り出し口には届かない。指一本ぶんの隙間と、シートの折り目一本で、その「届かない」を作っていた。

取れた客の顔は、モニターで見る。歓声はガラス越しに聞こえないが、口は読める。たいてい「やった」とは動かない。「えっ」と動く。取れると思っていなかった客ほど、まず驚く。子どもは取れた景品より先に、隣の親を見る。何か言う前に、見る。私はその「見る」を、カウンターの中から何百回も見てきた。

「これ、絶対取れないんだけど」とカウンターに呼ばれることがある。台を開けて、景品を動かす。どこまで動かすかは、頭の中の原価率で決める。この客はもう千円入れている、原価二百円はとうに超えている、ならあと一手で取らせていい。シートの折り目を戻し、タグをアームの真下へ寄せる。お客さんの前で、何でもない顔でそれをやる。アシスト、と私たちは呼ぶ。マニュアルはない。あるのは頭の中の差し引きだけだ。

常連の攻略勢には、その差し引きが見える。彼らはアームの戻りの速さと爪の開きを私より正確に知っていて、私が五ミリで作った「届かない」を、自分の指で越えてくる。先週、私が二割の重心で守っていた台のぬいぐるみが、無言の常連に持っていかれた。戻ってきたタグは、私が折った向きと逆に折れていた。彼はガッツポーズもせず、次の台へ移った。私は折り目を直しながら、その台の設定を一段、握力を上げた。

六年で、いくつの「届かない」を作ったか覚えていない。覚えているのは、越えられた台のことだ。逆に折れたタグ。「えっ」と動いた口。あと一手で取らせたとき、子どもが親を振り返るより先に景品を抱えた、あの腕の速さ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。