クルスアオイ(26歳・ゲームセンターの景品担当6年)
クレーンゲームの景品の置き方を決める仕事を六年している。何をどの角度で、どれくらいの隙間で、どんな滑り止めシートの上に置くか。それで、その台が「取れる台」になるか「取れない台」になるかが決まる。アームの設定をいじらなくても、置き方ひとつで台の性格は変わる。それを覚えるのに、最初の一年がまるごと要った。
二〇二〇年、二十歳のとき、私はこのゲームセンターのスタッフになった。最初に渡されたのは原価率の表だった。景品ひとつの仕入れ値と、その台に客が落とす金額の見込み。差し引きがプラスなら店は回る。マイナスが続けば台は撤去される。景品の置き方は、かわいさの問題ではなく、その表の問題なのだと教わった。
店長は無口な人で、教え方も最小限だった。配置替えをしている私の隣に立って、ひとことだけ言った。「取れない台は嫌われる。取れすぎる台は潰れる。客が『あと少しだった』と思う台だけが生きる」。それから店長は奥へ戻っていった。私はぬいぐるみを持ったまま、その言葉の前にしばらく立ち尽くしていた。
「あと少し」を作るのは、思っていたよりずっと細かい作業だった。ぬいぐるみのタグをアームの可動域の外側へ少しだけ逃がす。箱物なら、滑り止めシートの一枚を半分だけ折って、滑る側と滑らない側を作る。景品同士の隙間を指一本ぶん空けるか、空けないか。一ミリの違いで、アームに乗る確率が変わる。取れそうで取れない、の「そうで」の部分を、私は手で作っていた。
取れた瞬間の客の顔を見るのが、いつのまにか習慣になっていた。モニターには各台の映像が映っていて、私はカウンターの中からそれを巡回するように眺めている。景品が落ちる。客が小さくガッツポーズをする。連れの子どもがジャンプする。その歓声はガラス越しでこちらまでは聞こえないけれど、口の形でだいたいわかる。ネオンの光が夢のように瞬く店内で、その一瞬だけ、原価率の表のことを忘れられた。
もちろん、取れない日もある。「これ、取れないんだけど」とカウンターに呼ばれる。そういうとき、私は台を開けて、景品の位置を少しだけ動かす。お客さんの前で、さりげなく取りやすい角度に直す。アシスト、と私たちは呼んでいた。どこまで動かすかはその場の判断で、決まったマニュアルはない。動かしすぎれば原価率が崩れるし、動かさなければ客は二度と来ない。たぶん、そのさじ加減こそが私の仕事の本体なのだろうと思う。
イベントの日は、設定をゆるめる。クリスマスや夏祭りの大盤振る舞いの日には、店長から「今日は取らせていい」と指示が出る。普段は指一本ぶん空けている隙間を詰め、滑り止めの折りを戻す。その日だけ、私は射幸心の番人ではなく、サンタクロースのような気持ちになれた。子どもの客が大きな箱を抱えて帰っていくのを見送るのは、悪くない気分だった。
客にも種類がある。子どもは一回で取れないと泣きそうな顔をするから、私はつい早めにアシストに行く。常連の攻略勢は逆で、彼らはアームの戻りの速さや爪の開き方を私より正確に把握していて、こちらが配置で仕掛けた「あと少し」を、技術で乗り越えてくる。彼らに取られたときは、少し悔しくて、少し嬉しい。設計した「そうで」を、見破られたということだから。
あれから六年、私はずっと「あと少し」の観察者でいる。取れた人の歓声も、取れなかった人のため息も、ぜんぶ私の置き方から始まっている。取れそうで取れない、その「そうで」の一ミリを設計しつづけてきたあの最初の一年が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日もモニターの中で、誰かのアームが景品の上に降りていく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。