十月。広告制作会社のコピーライター久住直子(四十四)は、丘の上の団地の跡地に建つ二十四階建て分譲マンションの、最初のコピーを任されている。代理店の営業の小田切が、施主の要望を持ってくる。アシスタントの三輪は、前の晩に機械で三百案を出してきた。
金曜の午後二時。小さな会議室。ホワイトボードに敷地図が貼ってある。三輪がノートパソコンを開く。
三輪三百、出しました
小田切三百
三輪条件は、緑、高台、駅十四分、二十四階、南向き。「上質」と「洗練」は禁止にして
久住禁止にすると、何が出るの
三輪「気品」がいちばん多いです。四十一回
小田切気品、いいじゃない
久住去年、三つ出た。同じ沿線で
小田切出たか
三輪あと「杜」が三十八。「刻」が二十二
久住杜は、ある
三輪欅ですよね。南の通りの
久住十二本
三輪数えたんですか
久住航空写真で
小田切それ、それなんですよ。施主さん、欅は推したいって。既存の樹を残した計画なので
三輪「樹齢五十余年の欅並木」
小田切いいね
久住樹齢は、根拠が要る
三輪根拠
久住書くなら、植えた年を出せるようにしとく。聞かれたときに
小田切植えたのは、団地ができたときでしょう。昭和四十三年
久住じゃあ、それを書いたら、団地って書いたのと同じ
小田切……あ
三輪団地って、書いちゃだめなんですか
小田切だめってことはないけど。施主さんが「前の景色を思い出させない方向で」って
三輪でも「歴史ある丘」はいいって、さっき
小田切歴史はいいの。団地がだめなの
三輪団地は、歴史じゃないんですか
小田切(笑って)それ、施主さんの前で言わないでね
久住、ホワイトボードの隅に書く。「ここに、暮らしがはじまる。」
小田切お、早い
三輪……誰の、ですか
久住え?
三輪誰の暮らしが、はじまるんですか
久住書いてない
三輪書いてないですね
久住書かないと、見た人が自分を入れる
小田切それ、いいですよ。誰でも入れる
三輪三百案、全部そうでした。誰もいない
久住機械はよく読んでるのよ。四十年分
三輪前に住んでた人は、入れないんですか
小田切前の人は、もう住まないから
三輪戻り入居の棟がありますよね。隣に、賃貸の
小田切あれはURさんの棟。うちとは別
三輪でも、窓から見えますよね。二十四階から
久住見える。たぶん、見下ろす
小田切見下ろす、はやめましょう。偉そうだから
三輪「見晴らす」
小田切それ
久住ここに、暮らしがはじまる。で、一回出しといて。仮で
小田切仮で。月曜に施主さんに当てます
小田切、上着を取る。三輪、三百案のファイルを閉じずに、画面を少し久住のほうへ回す。久住は見ない。
同じ日の午後五時。丘の上。仮囲いの白い板が、坂に沿って続いている。久住と三輪、警備員の詰所の前。板の切れ目から、五階建ての棟が一つだけ見える。壁に大きく「7」。三階の窓が一つ、明るい。
警備員写真ですか
三輪広告の、素材で。中には入りません
警備員どうぞ。板の外からなら
三輪(シャッターを切りながら)一棟だけ残ってるんですね
警備員七号棟。今日で、最後の一軒が出るって。だから、まだ壊せない
三輪あの明かり?
警備員三階の。朝から業者が来てたから、もうすぐでしょう
久住(坂の上を見て)給水塔、なくなったんだ
三輪え?
久住……団地って、だいたいあるでしょう。給水塔
三輪ありましたっけ、ここ
警備員ありましたよ。春に、いちばん先に倒した。目立つから、あれは
三輪(久住に)欅、撮りますか。十二本
久住十一本
三輪え
久住いちばん坂の下のが、ない
警備員あれは夏に。根が、配管を持ち上げてたとかで
三輪航空写真、古かったんですかね
久住、答えない。三階の明かりの、一つ上の窓を見ている。カーテンがなく、暗い。
午後五時半を過ぎて、三階の明かりが消える。十分ほどして階段口から、紙袋を一つ下げた老人と、段ボールを抱えた五十代の女が出てくる。仮囲いの通用口に、URの名札をつけた若い職員が立っている。
職員お疲れさまでした
老人七号棟、三〇二。宇野です。鍵、三本
老人、鍵を職員の手のひらに一本ずつ置く。
職員三本、たしかに
三輪、カメラを下ろす。
三輪久住さん、もう暗いので。撮れました
久住うん
老人、通用口を出たところで一度だけ足を止める。振り返らずに、坂を下りていく。女があとを追う。
三輪最後の人ですね
久住うん
三輪コピー、何か変えます?
久住変えない。ここに、暮らしがはじまる
三輪仮で
久住仮で
三輪が先に坂を下りる。久住は七号棟を、もう一度見上げる。三階も四階も暗い。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。