核は強い。コピーのコピーのコピーで掠れていく音符、浄書で消える手書きの癖、遺族の家に一冊だけ残った総譜、そして「弾きたい曲ではなく、弾ける曲が、プログラムになる」という選曲の裏事情。この四点だけで一本立つ。問題は、書き手がそれを信用せず、冒頭で雨と匂いの書き割りを立て、最終段で「演奏のうちなのだ」と主題を自分で言い切ってしまっていることだ。捜索という、本来は電話と伝票と数えなおしでできている地味な手続きを、ところどころ叙情で薄めてしまっている。職業エッセイは、手続きの手つきが正確なほど強い。
「窓の外には冷たい雨が降っていて、ライブラリーの机にはインクと古い紙の匂いが静かに満ちていた。」
雨、匂い、静けさ。前作の辛口レビューでも指摘した三点セットを、また冒頭に貼っています。「文学的な職場」を安く調達する手口で、この書き手である必然がない。十二年その机にいる人間がまず気づくのは、雨ではなく、届いた小包の宛名書きの筆跡か、未処理の照会メモの厚みのはずです。おまけに末尾でも「雨の上がったライブラリーで」と回収していて、書き割りを二度使って情緒の額縁にしている。額縁ごと外してよい。
「楽譜を探すことも、演奏のうちなのだ。音を出さない私にとって、絶版の一曲を見つけ出すことが、たぶん私の演奏なのだと思う。」
主題を主題文として書いて、自分で判子を押しています。「探すことも演奏のうち」は、どの裏方エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、クズマキアオである必然がない。しかもこのエッセイは、初作「貸し譜の、書き込み」も二作目「本番中の、袖」も、この「音を出さない私/音楽の物は全部こちらに来る」という同じ落とし所に毎回着地している。三作続けて同じ自己規定で締めるなら、それはもう発見ではなく口癖です。意味は手続きが運ぶ。語り手が言い直す必要はない。
「たぶん私の演奏なのだと思う。」/「読めない譜面では、演奏できないからだ。」の手前の「私はそれを少しさびしく思いながら」
譜面係は、枚数を数え、版を照合し、欠けを確認する、断定でできている職業です。前二作の語り手は「止まらない。だから出ない」と言い切れる人物だった。その同じ人物の捜索譚が「たぶん」「〜と思う」「少しさびしく思いながら」で柔らかくなっているのは、人物の弱さではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに浄書で癖が消える件は、さびしさを述べるより、消えた癖の具体(「指揮者と要相談」の走り書きが、整った印刷譜のどこにも無い)を一つ置けば足りる。
「八分音符の旗が消え、強弱記号の p が F に見え、小節線が薄くなって二小節が一小節に見える。」
ここは惜しい。観察に近づいているのに、例が音楽記号の教科書的な並びで、実物のコピー機の劣化を見ていない。コピーの世代劣化で最初に潰れるのは、細い線(スラー、タイ、小節線)と、黒く詰まる部分(連桁、符頭の重なり)です。「p が F に見え」は記号の取り違えであって、コピー劣化の見え方ではない(p はむしろ掠れて消える)。一台のコピー機の癖——右端が必ず一センチ暗くなる、とか——を一つ書けば、世代を重ねた紙を本当に見た人になる。
「演奏会のプログラムは、譜面が見つかるかどうかで決まることがあるんです、と。弾きたい曲ではなく、弾ける曲が、プログラムになる。」
核の一つだが、台詞のあとの一文が蛇足です。「弾きたい曲ではなく、弾ける曲が、プログラムになる」は、台詞がすでに含意していることを抽象語で言い直したもの。言い直すたびに、現場で発した一言の重みが減る。事務局に何を訊かれ、何と答え、その結果プログラムから何が落ちて何が残ったか——具体の一例(あの作曲家の曲が見つからず、代わりに在庫のある別の曲に差し替わった)を置けば、解説はいらない。
「浄書というのは、手書きの譜を清書して、読める印刷譜に作り直す作業だ。専門の浄書家に頼むと、一曲のフルスコアで数十万円かかることもある。」
ここで括弧書きの語釈(「浄書というのは……作業だ」)を語り手が入れているのが不自然です。十二年やっている人間は、自分の仕事に脚注を付けない。語釈は、依頼の動作(見積書を開く、スコアとパート譜で単価が違う、フルスコアと全パートで桁が変わる)のなかに溶かすべきで、辞書的な定義文として置くと、にわか仕込みの知識に見える。「数十万円かかることもある」の「こともある」も逃げで、語り手なら一度の見積額を覚えているはずです。
「派手な達成感ではない。ただ、地味で確かな手応えがある。」
この二文は、登山の回想にも、修理工の回想にも、そのまま置ける。「地味で確かな」は中身のないラベルで、何が地味で何が確かなのかを書いていない。見つかった瞬間の達成感は、語るのではなく一つの動作で出す——控えの裏に日付だけ書く、という後続の所作はよいので、そこに語り手の感情解説を被せず、所作だけを残せばいい。
残すべきは四つ。コピーの世代劣化(ただし実物のコピー機の癖で)、浄書で消える手書きの走り書き、遺族の家の一冊と宅配便の控え、そして「弾ける曲がプログラムになる」という選曲の裏。削るべきは、冒頭と末尾の雨と匂い、留保語尾、浄書の語釈文、そして「演奏のうちなのだ」の主題解説。とくに改稿では、三作続けての「音を出さない私」の自己規定での着地をやめること。今回の核は捜索=手続きなのだから、末尾は控えの裏の日付一行で閉じればいい。意味は動作と伝票が運ぶ。語り手の独白が運ぶのではない。