クズマキアオ(34歳・オーケストラの譜面係12年)
窓の外には冷たい雨が降っていて、ライブラリーの机にはインクと古い紙の匂いが静かに満ちていた。私は音を出さない。演奏の前に譜面台へ楽譜を置き、終われば回収する。けれどその前に、まず楽譜を見つけてこなければならない夜がある。
演奏会で弾く曲が決まると、私はまず楽譜を手配する。出版社に注文すれば届く曲が、ほとんどだ。けれど時々、届かない曲がある。出版社の在庫が切れ、版権が会社の合併で宙に浮き、誰が刷る権利を持っているのか分からなくなった曲。あるいは、そもそも一度も出版されていない曲。そういう曲の名が選曲会議の紙に載ると、私の捜索が始まる。
最初にかけるのは、絶版の照会の電話だ。出版社の楽譜部に「これは重版の予定がありますか」と訊く。「版権が今どちらにあるか分かりますか」と訊く。たいていは「こちらでは分かりかねます」という答えが返ってきて、私は受話器を置く。それから他楽団のライブラリアンに電話する。同業の彼らは、自分の楽団が過去に弾いた曲のパート譜を倉庫に持っている。「あれ、借りられないか」と頼むのだ。
他楽団から借りるには、約束事がある。返却の期日、紛失したときの弁償、コピーを取ってよいかどうか。借りた譜面には前の楽団の書き込みが残っていて、それを消すか残すかも、貸し手の意向を訊く。郵送の途中で一枚でも欠ければ大事だから、発送前に枚数を数え、受け取ってまた数える。借り物のパート譜は、自分の楽団のものより緊張して扱う。なくしたら、その曲はもうこの世のどこにもない、ということがありうるからだ。
いちばん難しいのは、手書きのパート譜しか存在しない曲だ。作曲家が書いた一組の手書き譜が、どこかの楽団の倉庫に眠っている。それをコピーして、コピーから演奏してきた楽団がいくつもある。コピーのコピーのコピー。世代を重ねるたびに、音符は少しずつ掠れていく。八分音符の旗が消え、強弱記号の p が F に見え、小節線が薄くなって二小節が一小節に見える。劣化したコピーを前にして、奏者は「ここ、本当にこの音ですか」と私に訊く。私は元の手書き譜を持っていないから、答えられない。
掠れがひどいと、浄書を依頼する。浄書というのは、手書きの譜を清書して、読める印刷譜に作り直す作業だ。専門の浄書家に頼むと、一曲のフルスコアで数十万円かかることもある。費用はかかるが、いちど浄書すれば、次からは読める譜面が手元に残る。だから費用ではなく投資だと考えて、私は見積もりを取る。
けれど浄書には、消えるものがある。手書き譜には、書いた人の癖が乗っている。スラーの弧の大きさ、書き直した跡、欄外の走り書き。「ここはためて」「指揮者と要相談」。浄書家が清書すると、それらは標準的な記号に整えられて、癖は消える。読みやすくなった譜面から、手で書いた人の体温のようなものが抜けていく。私はそれを少しさびしく思いながら、それでも浄書を頼む。読めない譜面では、演奏できないからだ。
あるとき、出版もされず、どの楽団も持っていない曲の譜面を探して、作曲家の遺族に手紙を書いたことがある。ご遺族のお宅に、作曲家の遺品として手書きの総譜が一冊だけ残っていた。お借りしたいと頼み、コピーを取らせていただく約束で、宅配便の控えを握りしめて受け取りに行った。一曲のためにそこまでするのか、費用対効果はどうなのか、と事務局に訊かれたことがある。私はこう答えた——演奏会のプログラムは、譜面が見つかるかどうかで決まることがあるんです、と。弾きたい曲ではなく、弾ける曲が、プログラムになる。選曲の裏には、いつもこの事情がある。
見つかった日は、メモに日付を書く。派手な達成感ではない。ただ、地味で確かな手応えがある。あの遺族のお宅から借りた総譜が届いた日、私は控えの裏に「○月○日、着」とだけ書いた。楽譜を探すことも、演奏のうちなのだ。音を出さない私にとって、絶版の一曲を見つけ出すことが、たぶん私の演奏なのだと思う。雨の上がったライブラリーで、私は届いた譜面の枚数を、もう一度数え始める。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。