発進の、立坑
機械が土の中へ消えるまでの、いちばん緊張する数週間

クズリュウガク(53歳・シールド掘進オペレーター29年)

シールド工法では、まず地面に縦の穴を掘る。立坑という。その底に掘進機を据えて、横へ向きを変え、土の中へ送り出す。あとは貫通まで地中の旅だ。けれど旅の本当の難所は、何キロも先の途中ではない。出発のこの数週間、機械がまだ土を一メートルも進んでいない、立坑の底にいるあいだなのだ。

機械は、組み上がった姿のままでは坑底へ降ろせない。何十メートルもある円筒を、輪切りにし、縦に割って、ばらばらの部品で運んでくる。それを大型クレーンが一片ずつ吊って、立坑の底へ静かに降ろしていく。地上で人を待つ船を、海へ送り出すように。坑底では、降りてきた部品を組み立てる。地下三十メートルの底に、その工事のためだけの組立工場が一つ、立ち上がる。

組み上がった機械の正面には、立坑の壁がある。コンクリートの壁の、向こうはもう土だ。発進とは、この壁を切って、機械を土へ突っ込ませることだ。鏡切りという。けれど壁の向こうの土は、水を含んでいることが多い。何もせずに壁を抜けば、穴から土と水が立坑へ噴き出してくる。だから先に、機械の通り道の土をぐるりと凍らせるか、薬液を注いで固めておく。土が出ないように、いわば栓をしてから、栓ごと機械で押し抜くわけだ。

鏡切りの日は、何度立ち会っても胃が縮む。壁を切り、機械がじりじりと前へ出て、刃が初めて土を噛む。ここで凍結が甘ければ、足元から水が来る。誰もが排土量の計器を睨んでいる。出てくる土の量が、押し込んだ機械の体積より多ければ、それは余分に土を取りすぎている合図で、頭の上の地面が沈むということだ。最初の一メートルは、二十九年やってきた今でも、息を止めて見ている気がする。

土に入っても、すぐに本気では掘らない。初期掘進という、ならし運転の数十メートルがある。新しい機械は、一台ごとに癖がある。まっすぐ押しているつもりが、わずかに右へ逃げる。土の硬さに対して、刃の回り方がもたつく。その癖を、最初の数十メートルで体に入れる。人と同じで、機械にも、付き合ってみないと分からないところがある。本掘進の長い距離は、この見極めが済んでから始まる。

機械が前へ進めば、後ろに長い尾がついていく。掘った土を坑口まで運び出すベルトと、新しいセグメントを切羽まで運ぶ台車だ。トンネルが伸びるほど、この運搬の列も伸びる。前で機械がどれだけ速く掘れても、後ろの台車が一輪ぶんのセグメントを届けられなければ、機械は止まる。前線の華やかさより、後ろの兵站が工事の速さを決める。地味な台車の往復こそが、実は心臓だった。

立坑の上は、街だ。フェンス一枚を隔てて、歩道があり、人が通る。コンビニの袋を提げた人。自転車の子ども。彼らは、足の下三十メートルで何十トンの機械が土へ潜ろうとしていることを知らない。知らなくていい。私たちの仕事は、その無関心を守ることでもある。フェンスのこちら側とあちら側で、世界はこんなにも違うのかと、若い頃はよく思ったものだ。

そして、機械が完全に土の中へ消える日が来る。後端まで坑壁を抜け、発進口は塞がれ、もう外からは機械の姿が見えなくなる。あとは貫通の日まで、誰も直接は見られない。立坑の底に立って、塞がれた発進口を見上げたとき、いつも少しだけ寂しい。送り出してしまった、という感覚。けれど振り返れば、いちばん怖かったのは、いつもこの発進だった。土に入ってさえしまえば、あとは計器と土を読むだけの、慣れた仕事になる。発進こそが、シールドの一番の山なのだ。今日もどこかの立坑の底で、誰かが息を止めて、最初の一メートルを見ている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。