編集者(匿名)による第一稿への指摘。対象:英語教科書のフィクション #1(第一稿)/書き手:モチヅキカナデ
全体要旨
シリーズ第一回として、教科書英語の不自然さを単純批判せず、教育設計の合理性も併記する設計は、書き手の専門性(教育工学)と整合しており、シリーズの主題を立てる作りとして妥当。"I'm fine, thank you" 一フレーズに集中する一系統絞りも、前シリーズ「マネー見出しの解剖」の批評で固められた方針に沿っている。問題は、第一稿が 「英語教育系コラムのお手本」としてあまりにきれいに整っていることだ。具体的には:(1)アメリカ人同僚の「固まった一秒」というオープニング、(2)現代英会話の5並列リスト、(3)教育目的の合理性「三つの理由」、(4)教材改善案「二つの選択肢」、(5)シリーズ予告。これらが、英語教育コラムの定型を順に踏んでいる。
大学院でアメリカの教育工学者と話す機会があったときに、"How are you?" と聞かれて反射的に "I'm fine, thank you. And you?" と返したら、相手が一瞬、固まったことだった。固まったあと、彼は笑って、「教科書ですね」と日本語で言った。
このエピソードは、英語教育の不自然さを語る記事では、あまりに頻出するパターン。「ネイティブが固まった/笑った/驚いた」という反応を出して、書き手の気づきの起点として使う。問題は、このエピソード自体が、英語教育コラムのテンプレートとして流通していることだ。読者は、書き出しの三段で「ああ、また『教科書英語あるある』の話か」と気づく。
かつ、エピソードの構造が便利すぎる:(1)書き手の反射的応答、(2)相手の固まり、(3)笑って「教科書ですね」と日本語まで返す相手の親切設計、(4)書き手が距離を「初めて自分の体で測った」という総括。四段がきれいに揃いすぎている。第二稿では、エピソードを削るか、固まった一秒を「気まずく終わった」程度に圧縮し、書き手の総括(「初めて自分の体で測った」)を取る。
"Good, you?" / "Not bad." / "Tired, but OK." / "Hangin' in there." / "Pretty good. Yourself?"
「実際の英語ではこう返す」と並べる五つの例。このリストは、英会話を扱う日本語コラムの定番中の定番で、検索すれば類似のリストが何百本も見つかる。書き手の独自観察ではなく、流通する例の貼り付けに見える。
かつ、五つというキリ番が、シリーズ前作「マネー見出しの解剖」の批評で繰り返し指摘された「並列の癖」の再演。望月奏としての初回エッセイで、いきなり過去シリーズと同じ癖が出てしまっている。第二稿では、リストを二つだけにする("Good, you?" と "Not bad" 程度)か、「いくつかのバリエーションがある」と地の文に溶かす。
第一に、文法の網羅性。……第二に、文化的中立性。……第三に、評価の容易さ。
「第一に、第二に、第三に」と整然と並ぶ三段。これは英語教育論文・教育工学論文の定番フォーマットで、論文として書かれているなら問題ないが、エッセイとして読むと、論文の構成をそのまま転用しているように見える。読者は、書き手が「教育工学の知識を披露している」と感じる。
かつ、第三の「評価の容易さ」は、教育工学の専門知としては正しいが、エッセイの文脈では、ややテクニカルな話で、シリーズの主題(英語教科書の不自然さ)から逸れる。第二稿では、三つを「いくつかの理由がある。文法を網羅できる、地域差で混乱しない、テストの採点が揺れない」と一段にまとめて、「第一に/第二に/第三に」の番号を取る。
"Nice to meet you, too" のペアワーク用の鏡像構造の指摘は、教育工学の現場感が出ていて、本作の独自性が一段深まる箇所。これは残して、深く掘る価値がある。
ただし、現状の書き方は「ペアワークの便宜」「型を覚えてから型を崩す」と、教育工学の標準語彙が連続して出ており、書き手の知識ショーケース化している。第二稿では、ペアワークの便宜の話だけ残して、「型を覚えて崩す」のような格言調を削る。
ひとつは、教科書の保守的バージョンを残したうえで、「実際にはこういう言い方もある」という補足ボックスを脇に置く。……もうひとつは、教科書のダイアログを最初から複数バージョン用意する。
教材改善案を、これも「ひとつは/もうひとつは」の二並列で提示している。これは教育工学の現場で実際に提案される設計案で、書き手の専門性として正しいが、エッセイとしては「結末の提案リスト」を二つ並べる癖になっている。前シリーズで批判された「結末の◯◯推奨」の再発。
第二稿では、改善案を一つだけにするか、両方とも削って、「教材として置き換え可能な範囲は、ある」とだけ書く。具体の設計案は、書き手の本業(教育工学)の領域なので、エッセイで詳細を出すと、本業のセールスピッチに見えるリスクもある。
section-label:アメリカ人の同僚が、固まった一秒
……あの一秒は、彼にとっては「日本人の英語の保守性」のサインだった。私にとっては、「教科書から先の英語に、私はまだ橋を渡っていない」と気づく合図だった。
本文の結末で、冒頭のエピソードに回帰する「ブックエンド」構造。前シリーズ「訳せないことば」批評で繰り返し指摘された癖。冒頭のエピソードを削る場合は、結末の回帰も自動的に消える。
かつ、「あの一秒は、彼にとっては……私にとっては……」と二重の意味を読み解く書き方が、書き手の解釈ショーケース化している。一秒は、彼にとってのサインかどうか、書き手には判断できないはず。
本シリーズでは、英語教科書の他の場面(道案内、電話、買い物、友達との会話)を順に取り上げて……
本文末の次回予告。前々シリーズから繰り返し批判されている運営宣言型の結末。一話完結を維持するなら、本文中の予告は削り、記事末リンク集に任せる。
第一回として、シリーズの主題(教科書英語の不自然さと教育設計の合理性の併記)は明確で、望月奏の専門性を活かす方向は出ている。問題は、英語教育コラムの定型(ネイティブの反応エピソード、現代英会話の並列リスト、教育目的の三つの理由、改善案二つ、シリーズ予告)が、第一回でほぼ全部踏まれていることだ。これは過去シリーズで批判された癖の集合と、英語教育コラム特有の癖の合流地点になっている。
第二稿に向けて:
望月奏の単独デビュー作として、定型に頼らない第一回に書き直す。