サカイ・ユウ(大学2年生、文学部)
無印良品のA6サイズの手帳の、後ろから二ページ目を開く。一行目に「A先生(近代文学講読、月曜2限)」と書いてある。その下に四行。
①感想欄は最低でも紙の三分の二を埋める
②冒頭は「今回の講義で、◯◯先生が指摘された△△という観点が」
③講義スライドの用語を最低二つ使う、ただし定義の言い直しはしない
④結びは「自分の中の問いとして残った」
このページは去年の五月に書いた。書き終えてから、私はA先生の感想文で、平均して三点上がるようになった。手帳の後ろのページは、私にとっての地図である。
小学校三年生の二学期、担任のオオシマ先生に「相手の気持ちになって考えなさい」と言われた朝のことを、私は今でも覚えている。私はその意味が、本当に分からなかった。相手の気持ちは相手のものだ。それを私の中に持つと、私の気持ちになる。たぶんオオシマ先生が求めているのは、そういうことではない。けれど、「そういうことではない」と分かる以上のことが、当時の私には分からなかった。
その日の連絡帳に、私は何も書かなかった。母が連絡帳を開いて「今日は何もないの」と聞いた。私は「ない」と答えた。本当はあった。けれど、書き方が分からない感想は、書かないことにした。
この、書かないことにする、という選択肢を、私は小学校三年生の二学期に獲得した。十数年が経った今、私はまだその選択肢の周辺で暮らしている。
大学に入って一年、私の手帳の後ろのページは、A先生からK先生まで埋まっている。十一人分のルール推定が、それぞれ四行から六行で書かれている。
A先生(近代文学講読)は「学んだこと」を求める。先ほど引用した通りだ。B先生(西洋哲学史)は逆で、「疑問に思ったこと」を強く求める。学んだことを書くと、赤ペンで「これは整理ですね」と書かれる。C先生(言語学概論)は、ルールが明確には見えない。一行で出すと不機嫌になる、ということだけは三回の経験で分かった。だから私はC先生には、必ず三行以上書く。書く内容は、何でもいい。三行という長さが、C先生にとってのルールらしい。
K先生(比較文化論)は、最も難しい。「みなさんの自由な感想を聞かせてください」と毎回繰り返す。手帳のK先生のページには、私はまだ何も書けていない。空欄のまま、二ヶ月が経っている。
K先生は、本当にやさしい先生だ。授業中、学生の発言に「いい指摘ですね」と必ず返す。手を挙げた学生の名前を覚えていて、「前回、◯◯さんが言っていたことに繋がりますが」と接続する。学生を信じている先生だ、と私は思う。
そのやさしさが、私には届かない。届かないのは、K先生が悪いからではない。私の側が、自由に書けない形をしているからだ。私はK先生に対して、ルールを推定できないでいる。推定できないと、書けない。書けないまま、毎週の感想欄に、私は「今回も興味深く拝聴しました。来週も楽しみにしております」とだけ書いて出している。
その十六文字を書く時の私の手の動きを、今、外から見ている。書いている本人は、それが嘘であることを知っている。K先生は、たぶんそれが嘘であることを知らない。または、知っていて、何も言わずに受け取ってくれている。後者だとしたら、私はK先生にもう一度別のかたちで応えたい。けれど、その別のかたちが、まだ私には見えない。
K先生のスライドは、黄色の背景に赤い太字でキーワードが書かれている。私はそれが少し見えにくいけれど、読める。隣の席のフジサキは、読めない。彼は赤と緑の見え方が少し違う。黄色と赤が、彼の目には溶けている。
フジサキは、毎週の感想欄に、堂々と「今日のスライドの三枚目、何が書いてあったか教えてください」と書いている。K先生は次の週、必ずそのキーワードを口頭で復唱する。フジサキは、K先生に「分からない」と書ける人で、私は書けない人だ。
フジサキの感想欄と、私の感想欄を、もしK先生が並べて見たら、どちらが本気の感想だと思うだろうか。私はたぶん、フジサキの方だ。彼は「分からない」と本当のことを書いている。私は「興味深く拝聴しました」と書いている。私の方が、文字数は多い。けれど、本気の量では、たぶんフジサキに負けている。
このエッセイは、ユニバーサルデザインフォントで書いている。字の間隔が広く、6と0、1とlが見分けやすい。私自身は、フォントで救われるほどの視覚の困難はない。書く前から読みやすい字を選ぶことは、誰かに対する小さな引き算の配慮だと、最近教わった。教えてくれたのは、フジサキだった。
引き算の配慮、という言葉が、私の手帳の最後のページに、今日書き加わった。十二行目になる。十一人分の先生のルールの後、初めての、ルール推定ではない一行だ。
明日も、たぶん、感想を書いてくださいと言われる。A先生の月曜2限。私は手帳の後ろの一ページ目を開いて、四行を確認してから、感想欄に取り掛かる。K先生の感想欄には、まだ「興味深く拝聴しました」と書き続ける。空欄のままのK先生のページは、空欄のまま、来週も持ち歩く。空欄を埋める日が、いつか来るのか、来ないのか、まだ私には分からない。
来ないとしても、十二行目に書いた「引き算の配慮」という一行を、私は時々開く。誰にも提出しない、私のための一行だ。それを書けるというだけで、明日の提出は、ほんの少し軽くなる。