ワタナベ(65歳・元会社員)
新聞の訃報欄を古い縮刷版で追っていると、死者そのものより、死を告げる言い方の移り変わりに目が留まる。明治の記事には、言い回しがまず立っている。人が亡くなったという事実が、その人の生前の顔つきより先に、漢語の定型として紙面に現れる。いっぽう現代の死亡記事や会葬案内では、語尾がやわらぎ、主語が後ろへ退き、知らせる側の気づかいが前面へ出る。死は同じ出来事であるのに、文体の姿勢がこれほど違うのかと、読むたびに立ち止まる。
明治の訃報文は、まず硬い。硬いというより、死を個人の出来事のまま置かず、公の文章へ組み替える力が強い。「長逝せり」「鬼籍に入る」「永眠す」といった語は、悲しみを述べるより先に、出来事を格納する箱を差し出す。そこでは年齢も「満」ではなく「行年」で数えられ、病名や時刻も、故人の生活の細部ではなく記録の項目として並ぶ。情がないのではない。情があるからこそ、あえて様式へ押し込み、乱れを見せない。そうした節度が、当時の新聞文体の骨格になっていた。
「長逝せり」は、死を長い旅の果てとして包み、「行年幾歳を以て鬼籍に入る」は、死者を戸籍の外ならぬ別の帳面へ移す。どちらも、死を裸のまま置かないための言葉である。
現代の新聞に目を移すと、定型は残っていても、向きが違う。「逝去されました」は敬語で整えられているが、誰が誰に敬意を払っているのか、一読して少し曖昧である。故人への敬意、遺族への配慮、読者への刺激の緩和が、一つの語尾に折りたたまれている。「家族葬にて相済ませました」になると、死の事実そのものより、儀礼の処理が先に立つ。そこでは訃報は、社会へ向かう公告であるより、関係者の負担を最小限に伝える連絡文へ近づいている。死の場面が私事へ引き寄せられたぶん、文章もまた、波風を立てぬ言い回しへ寄っていった。
この違いは、単なる古風と現代風の差ではない。明治の訃報は、共同体が死を引き受けるための文体だった。地位、履歴、病状、葬送の予定が並ぶのは、その人の死が社会の出来事でもあったからである。現代の死亡記事は、むしろ社会との距離を調整する。「近親者のみで執り行いました」「ご厚志は辞退申し上げます」といった文言には、悲しみの表現以上に、境界線を穏やかに引く働きがある。知らせる文章が、記録と儀礼の媒体から、関係の整理を担う媒体へ移ったのである。
だから私は、昔の言い方を単純に格調が高いとも、今の言い方をただ婉曲だとも片づけたくない。前者は死に形式を与え、後者は死の周囲に緩衝材を置く。どちらにも、時代なりの用心がある。ただ、読み比べると死者の位置が違って見える。明治の文体では故人が文章の中心に据えられ、現代の文体では遺族と読者のあいだに立つ案内文が中心になる。死を告げる文の歴史とは、悲しみの深浅を競う歴史ではなく、死をどこに置けば社会が持ちこたえるか、その置き場を探り続けた歴史なのだ。紙面の数行は短いが、そこには時代の身振りがはっきり刻まれている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。