核は強い。「明後日までに」という急ぎが理由を語ってしまうこと、黒糸と黒ボタンだけがたっぷり入った予備の引き出し、「貸衣装という手もありますよ」を切り出すときの沈黙、不織布のカバー袋を両手で受け取る手つき。この四点で十分に立つ。問題は、書き手がその四点を信用せず、悲しみの一般論と「夜なべのミシン」の書き割りで場面を水増しし、最終段で「人生の節目」と主題を直叙して全部を回収してしまっていることだ。とりわけ致命的なのは、センチ単位で布の限界を見切るはずの職人を語り手にしながら、肝心のところで「〜かもしれない」と曖昧に逃げていること。この人は、逃げない人のはずだ。
「結局のところ、喪服の直しは、人生の節目に立ち会う仕事なのだと思う。」「三十五年、そうやって、たくさんの黒を送り出してきた。今夜も店の奥で、黒い糸が静かに、ミシンの中を通っていく。」
エッセイの主題を主題文として書いてしまっています。「人生の節目に立ち会う仕事」は、葬儀社にも花屋にも貼れる汎用シールで、ミハラエツコである必然がない。「たくさんの黒を送り出してきた」の感慨も、読者が自分で感じるべきことを作者が先に言葉にして奪っている。「黒い糸が静かにミシンの中を通っていく」の静物画で締めるのも、余韻の偽装です。第二稿(仕立て・制服)が、最終段で物そのもの——縫い代一・五センチ、焼けた黒と焼けない黒——だけを並べて終えていたことを思い出してほしい。意味を言うな。物を置け。
「ミシンの音だけが、しんと静まった夜の部屋に響いている。誰かを送るための一着を、私は黙って縫っている。」
「しんと静まった夜」「黙って縫う」「誰かを送るための一着」。死をめぐる既製の情緒を三点セットで安く調達しています。この書き手が本当に夜なべするなら、出てくるのは「しんとした夜」ではなく、逆算した時刻(明日の夜に仕上げ、当日朝に渡す)そのものであり、出せた縫い代が何センチだったかであるはずだ。雰囲気が職人より先に立っており、生成された“しめやかさ”の典型。喪服を扱うときほど、感傷ではなく数字と布で書かなければ、死は安くなる。
「人は悲しみのあいだに、少しずつ太っていくものなのかもしれない。」「そういう顔を見るのが、私はわりと好きなのかもしれない。」
この語り手はセンチの人です。指で縫い代をつまんで「出せるのは二センチか、三センチか」を即座に見切る人間が、人の体の変化を「太っていくものなのかもしれない」と感想で流すのはおかしい。喪服を出す注文が多いという事実を、彼女は数字で知っているはずだ——何年も着なかった人のウエストは決まって何センチ足りない、という体感で。「〜かもしれない」は怯えではなく、断言を避ける作者の保険に見える。職人の確信を、推量の語尾で薄めないこと。
「広げてみると、合わせのところに折り癖がついている。」「礼服を入れる、薄い不織布のカバー袋。」
「折り癖がついている」は概念であって観察ではない。何年も簞笥にあった喪服を実際に広げた人間なら、もっと具体が出る——たたみ山に沿って黒が白っぽく退色している、ハンガーの肩の形がついている、防虫剤の匂い(これは一度書けている、活かせ)。カバー袋も「薄い不織布」で止めず、店の名の入った袋なのか、客が持参した古い袋なのかで、その家の喪の歴史が出るはずだ。前に出した縫い代の跡(第8段で「まだ残っている」と書いている)こそ、いちばん見るべきディテールなのに、一行で通り過ぎている。
「この一言を切り出すのは、いつも勇気がいる。お客は一瞬、黙る。その沈黙が、私はいまでも苦手だ。」
核のひとつなのに、「勇気がいる」「苦手だ」と自分の心情を説明してしまって、沈黙そのものを書けていない。なぜ言いにくいのか——縫い代を全部出してもウエストが足りない、という布の事実を客に伝えることが、暗に「あなたは変わった」と告げることになるからだ。その職業的な板挟み(直せます、と言えない職人の無力)を動作で書けば、「苦手だ」は要らない。沈黙の中で客が袋を見たのか、自分の手元を見たのか、それを書け。
「黒い糸を通して、何度か巻いて、留める。」「私の予備の引き出しには、黒いボタンと黒い糸だけが、いつもたっぷり入っている。」
引き出しの一行は良い——黒だけがたっぷり、は職業の真実だ。だが「何度か巻いて、留める」が雑で、くるみボタンの直しの手つきになっていない。くるみボタンは足が布でくるまれていて、付け直すなら根巻きをして、糸足を作る。喪服のボタンは共布のくるみが多く、予備が利かないこともある(だから引き出しに「黒いボタン」が常備されている理由づけが、本当は逆に効く)。道具に厳密な職人を語るなら、手つきを一段だけ正確にすること。一段でいい。それで全体が本物になる。
「電話口の声は、たいてい少し早口だ。」「どこか追われたような影がさしている。」
「少し早口」「追われたような影」は、急ぎの依頼ならどんな商売の客にも置ける。喪服の急ぎに固有の何か——たとえば、いつ着るとも何の式とも言わずに日付だけを言う、その言い方——を書かなければ、この客はミハラの店の客ではない。冒頭で「理由を言わない/聞かない」という核を立てているのだから、その“言わなさ”を声色で書けば、影の比喩は要らない。
残すべきは四つ。理由を言わず日付だけを告げる電話、黒糸と黒ボタンだけがたっぷり入った予備の引き出し、「貸衣装という手もあります」を切り出すときの沈黙、そして数年後に同じ喪服が前の縫い代の跡を残したまま戻ってくること。削るべきは、悲しみの一般論(「太っていくものなのかもしれない」)、夜なべの叙情、最終段の「人生の節目」直叙。改稿では、ウエストを出す注文の多さを推量ではなく数字で言い切り、貸衣装の場面は心情説明をやめて沈黙の中の視線で書き、結びは「人生の節目」と言わずに、戻ってきた喪服の縫い代の跡——前に自分が出した跡——を物として置いて終えること。意味は物が運ぶ。説明が運ぶのではない。