喪服の、急ぎ
明後日までに、と言われる仕事のこと

ミハラエツコ(59歳・仕立て直し職人35年)

喪服の直しは、いつも急ぎでやってくる。「明後日までにお願いできますか」。電話口の声は、たいてい少し早口だ。店の戸を開けて入ってくる人の顔にも、どこか追われたような影がさしている。喪服を急ぎで持ってくる理由を、お客は言わない。私も聞かない。喪服の直し、というそのこと自体が、もう理由を語ってしまっているからだ。

持ち込まれる喪服は、たいてい何年も着ていなかったものだ。簞笥の奥にしまったきり、防虫剤の匂いを吸い込んだ黒。広げてみると、合わせのところに折り癖がついている。そして、ほとんどの場合、体に合わなくなっている。出してほしい、と言われる。ウエストを、あと少し。人は悲しみのあいだに、少しずつ太っていくものなのかもしれない。

ウエストを出す注文には、限界がある。縫い代がどれだけ残っているかで、出せる分が決まる。スカートなら脇とうしろの中心。男物のズボンなら、うしろの中心の縫い代をほどいて戻す。指でつまんで、出せるのは二センチか、三センチか。それを見極めてから受ける。布が足りなければ、どうにもならない。

ボタンの付け直しだけで済むこともある。喪服の上着の、くるみボタンが一つ取れかかっている、糸が緩んでいる。それくらいなら、すぐだ。黒い糸を通して、何度か巻いて、留める。こういうときは、正直、ほっとする。間に合わせてあげられる、と思える。私の予備の引き出しには、黒いボタンと黒い糸だけが、いつもたっぷり入っている。

通夜までの時間を、頭の中で逆算する。明後日の夕方が通夜なら、明日の夜には仕上げて、当日の朝に取りに来てもらう。アイロンの時間も入れる。だから受けたその晩は、夜なべになる。ミシンの音だけが、しんと静まった夜の部屋に響いている。誰かを送るための一着を、私は黙って縫っている。

けれど、どうにもならないこともある。縫い代を全部出しても、ウエストが足りない。そういうとき、私は言いにくいことを言わなければならない。「貸衣装、という手もありますよ」。この一言を切り出すのは、いつも勇気がいる。お客は一瞬、黙る。その沈黙が、私はいまでも苦手だ。

直し終わった喪服を、お客が取りに来る。礼服を入れる、薄い不織布のカバー袋。それを差し出すと、お客は両手で受け取る。その手つきが、なんともいえず丁寧なのだ。中身が大切なものだと知っているような、そういう受け取り方をする。袋ごしに、黒がうっすら透けて見える。

何年か経つと、同じ喪服が、また「急ぎで」やってくることがある。同じお客の、同じ一着。前に出した縫い代の跡が、まだ残っている。ああ、またこの季節が来たのだな、と思う。喪服は、人が忘れたころにまた呼び出される。

結局のところ、喪服の直しは、人生の節目に立ち会う仕事なのだと思う。私はミシンの前で、誰かの別れに、間に合わせるために針を動かしている。三十五年、そうやって、たくさんの黒を送り出してきた。今夜も店の奥で、黒い糸が静かに、ミシンの中を通っていく。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。