核は強い。礼服を裏返して縫い代を指で測る師匠、「この服はあと二センチしか出せない。それを伝えてから受けなさい」という一言、そして形見のジャケットを「自分が着られるサイズに」直す注文。この三点だけで一本立つ。問題は、書き手がその三点を信用せず、ミシンの音と待ち針の音で場面を飾り、最終段で主題を直叙して全部を回収してしまっていることだ。とりわけ惜しいのは、センチ単位で人の体を語るはずの職人を語り手にしながら、肝心の場面が「〜と思う」「〜かもしれない」でぼやけていること。寸法の人が留保で語ると、巻尺を持っていないように見える。
「詰めると出すの間に、人生があるのだ。」「あの日師匠が教えてくれたのは、たぶん、そういうことだったのだと思う。」
エッセイの主題を、主題文としてそのまま書いてしまっています。「◯◯と△△の間に、人生がある」は、どの職業エッセイの末尾にも貼れる汎用シールで、ミハラエツコである必然がない。しかも師匠の「あと二センチしか出せない」がすでに全部言っているのに、それを抽象語で言い直すたび、師匠の一言の値打ちが下がる。読者に渡すべき結論を、作者が先に奪っている。
「ミシンの音が静かに響く店の奥で、師匠は黙々と針を動かしていた。」「待ち針が布を留める、その小さな音だけが部屋に響いていたように思う。」
「静かに響く音」「黙々と」。職場の情緒を既製品で安く調達しています。さらに末尾の「今日も店の奥で、ミシンの音が静かに響いている」で同じ装置を再利用して締めており、二重に手抜きです。三十五年その店にいた人間から出てくるのは、ミシンの叙情ではなく、ボビンの糸が切れる頻度や、アイロンの蒸気の匂い、客が脱いだ上着のにおいのはずです。雰囲気が人物より先に立っている。
「私の手はこの二つの動きしか覚えていないと言ってもいい。」「数字を読むこともおぼつかなかったと思う。」「未来の体の変化に、あらかじめ余白を残しておくことなのかもしれない。」
仕立て直しは、ミリ単位の断定で生きている職業です。あと二センチ出せるか、肩を一センチ落とすか、待ち針をどこに打つか——すべて数字で決める。その人物の回想が「〜と思う」「〜かもしれない」で満ちているのは、若手の心細さの描写ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。センチを扱う手の人が、自分の記憶にだけ巻尺を当てられないのは不自然です。
「師匠は私から礼服を受け取ると、ウエストの内側をくるりと裏返した。縫い代の幅を指で測り、しばらく黙っていた。」
「縫い代の幅を指で測り」が概念のままです。実際に縫い代を見た職人なら、幅が何センチだったか(指二本ぶん、とか)、布が裁ち切りか折り返しか、ロックミシンか手かがりか、生地が何か(ウールの黒、てかりの出た古い礼服)まで手が覚えているはずです。具体物が一つも出てこないので、師匠の沈黙が「演出としての沈黙」に見えてしまう。職業の手つきが書けていない。
「ほどきのリッパーを握ると、今でもあの礼服を思い出す。縫い目を一目ずつ切っていくとき、私は誰かが布を裁った日の判断に触れている。」
リッパーで縫い目を切る所作が、感慨の小道具として消費されています。本物のリッパーの実感は「布を切らないように刃を寝かせる」「ほどいた糸くずが膝に落ちる」「ミシン目の間隔で前の職人の腕がわかる」といった手の側にあるはずで、「布を裁った日の判断に触れている」という抽象に飛んでしまうと、リッパーを握ったことのない人の文章に見える。道具を出すなら、道具の運用で語ってください。
「注文票の数字を見れば、その人の体に何が起きているか、だいたいわかってしまう。」
この一文は、医者のカルテにも、美容師のカウンセリングにも、そのまま置ける。「だいたいわかってしまう」の中身——たとえば、ウエストは変わらないのに着丈の詰めが増える人は背が縮んでいる、というような、仕立て直しでしか書けない具体——を書かなければ、観察者を名乗る資格がない。「観察者になった」と言いながら、観察の中身が一つも提示されていません。
「元の人の体の形を、別の人の体に合わせて消していく作業だ。」「この服がもう一人分の体を覚えていることを思う。」
前者はぎりぎり効くが、後者は感傷の地の文で気持ちを説明してしまっています。形見の直しの重さは、待ち針を打つ位置や、亡夫の肩幅と妻の肩幅の差のセンチ、ほどいた裏地に残った体の癖——そういう物の側で立ち上げるべきで、「体を覚えている」と言葉で言った瞬間に、読者が自分で気づく余白が消える。
残すべきは三つ。礼服の縫い代を裏返して測る師匠と「あと二センチしか出せない、伝えてから受けなさい」、年配客で詰めの注文が増える=肩が落ちるという観察、そして形見のジャケットを着られるサイズに直す注文。削るべきは、ミシンと待ち針の叙情、留保語尾、最終段の「人生がある」の直叙。改稿では、縫い代の幅を実数で押さえ、リッパーや待ち針を所作として動かし、形見の直しは亡夫と妻の寸法差という数字で語ってください。意味は数字と動作が運ぶ。説明が運ぶのではない。