ミハラエツコ(59歳・仕立て直し職人35年)
仕立て直しの注文は二種類しかない。詰めるか、出すか。詰めるときは縫い代を内側へ折り込む。出すときはほどいて、しまってあった布を戻す。三十五年、私の手はこの二つしか覚えていない。
一九九一年の春、二十四歳で洋裁店に入った。初めて任された注文は、男性の礼服のウエストを二センチ「出す」直しだった。法事に着る、前のホックが留まらない、と。ほどいて縫い代を戻して縫う。それだけだと思った。
師匠は礼服を受け取ると、ズボンのウエストを裏返した。てかりの出た黒のウール、裾上げの折り山が二本ある古い仕立てだった。縫い代を親指と人差し指でつまんで、「一・五センチだね」と言った。それから、「この服はあと二センチも出せない。それを伝えてから受けなさい」。縫い代の幅が、その服の許容量だった。出せる布は、仕立てた人が裁ったときに決めていた。
結局その客には、別の礼服を仕立てることをすすめた。出せない服を無理に出せば、ほどいた縫い目の跡が表に残る。布には、はじめから「ここまで」が縫い込まれている。それを超えた体の変化には、服を替えるしかない。
それから、注文票を見る目が変わった。若い客は出す注文が多い。だが六十をすぎたあたりから、同じ人の注文が詰めに変わる。痩せたわけではない。ウエストはそのままで、着丈の詰めだけが増える人がいる。背が縮んでいるのだ。肩が前に落ちて、上着の衿が首から浮く。肩幅を詰める注文は、袖を付け根から全部ほどくから、いちばん時間がかかる。数字が、その人の背中の話をしている。
去年、形見のジャケットを持ってきた人がいた。亡くなったご主人のもので、「自分が着られるように」と。肩幅は男物で四十六センチ、奥さんは三十九センチ。七センチ詰める。袖を切る。リッパーを寝かせて肩の縫い目を一目ずつ切ると、糸くずが膝に落ちた。ミシン目の間隔が詰んでいて、丁寧な仕立て屋の仕事だとわかった。ほどいた裏地に、肩の高い側だけ生地が伸びた癖が残っていた。ご主人は右肩が上がる人だったのだろう。その癖を、私はアイロンで消した。
仮縫いの待ち針を、奥さんの肩に合わせて打ち直した。男物の肩の線が、女物の肩へ寄っていく。七センチぶん、誰かの体がいなくなる作業だった。
三十五年、出した布より、出せないと断った服のほうを覚えている。あの黒の礼服。縫い代一・五センチ。そして、肩幅を七センチ詰めたジャケット。