ミナミカワセイジ(64歳・畳職人40年)
畳の仕事のなかで、施主と相談することは、ほとんどない。寸法は私が測り、表は私が選ぶ。家の人が口を出せる場所は、ただ一つ、へりの柄だけだ。見本帳を膝に広げて、私は窓辺に腰を下ろす。柔らかな午後の光が、色とりどりの布見本を静かに照らしていた。
見本帳には、無地が並び、伝統柄が並ぶ。麻の葉、紗綾形、菊の段。近ごろは北欧風の幾何学柄まである。施主はしばらく指で撫でて、それから、八割の人がこう言う。「お任せします」。任された私は、部屋の使われ方から選ぶ。仏間なら格のある紋縁を、子ども部屋なら丈夫さを優先した黒っぽい綿縁を。
へりは、畳のなかで唯一、デザインが表に出る場所だ。表は織られた目があるだけ、床は見えない。へりだけが、色を持ち、柄を持ち、人の目に触れる。畳という地味な道具が、ここでだけ、おしゃれをする。へりは、いわば和室の額縁なのだ。中の絵——畳の表——を引き立てるために、縁取りがある。
へりを踏んではいけない、という作法がある。なぜいけないのか、由来には諸説あるようだ。紋縁を踏むのは家の格を踏むことだから、とも言う。へりの下は畳と畳の合わせ目で、足場が不安定で危ないから、とも聞く。武家では、へりの隙間から刃を差し込まれる用心だった、という説もあるらしい。どれが本当かは、私には分からない。
最近は、縁無し畳が流行っている。琉球畳風、と呼ばれる。へりがないぶん、部屋がすっきり見える。市松に組んで、目の向きで濃淡を出す。若い施主はたいてい、こちらを選ぶ。へりの見本帳を開く機会そのものが、年々減っている。相談する場所が、家から消えていく。
へりを縫うのは、角の仕事だ。畳の隅で、へりを三角に折り込み、内側へ畳み込んで留める。この折りがきれいに決まらないと、角が膨れる。昔は手縫いだった。いまはミシンで縫う。早いし、目が揃う。手縫いの味が失われていくのは寂しいことだが、時代の流れには逆らえないのだろう。
そして、へりだけを替える、という修理はない。へりが擦り切れたら、それは表替えの合図だ。へりと表は一枚に縫い合わされているから、へりが傷むころには、表もくたびれている。へりだけ新しくはできない。傷んだら、表ごと替える。畳とは、そういう構造をしている。
仏間の表替えに入ったとき、施主の老婦人が、紋縁を撫でて言った。「これは、母が選んだ柄なんです」。先代が縫ったへりだった。同じ紋縁を見本帳から探し、私は同じ柄で縫い直した。母の選んだ柄が、また十年、その部屋の畳を縁取る。へりは、ただの飾りではない。家の記憶を、縁取っているのだ。
四十年、数え切れないほどのへりを縫ってきた。無地も、紋縁も、北欧風も。けれど思えば、へりとは不思議な場所だ。畳のなかで、踏んではならぬと戒められ、それでいて唯一、人に見られることを許された部分。表が暮らしに踏まれて生きるなら、へりは、見られることで生きている。へりこそ、畳の顔なのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。