ミナミカワセイジ(64歳・畳職人40年)
表替えに入る前に、まず寸法を測る。六畳間でも、畳は一枚ずつ違う。柱の出で五分、壁の歪みで三分、その分だけ詰めて切る。図面の上の部屋は正確な長方形だが、実物にそんな部屋はひとつもない。歪みを数で覚えて帰る。それが四十年、私の最初の仕事だ。
新しい表を開くと、い草の匂いが立つ。青いうちは目に染みるほど強く、夏を越して枯れてくると、匂いは半分に落ちる。匂いの強さで、表が何年ものか見当がつく。私にとっては情緒ではなく、ものさしのひとつだ。
初めて一人で六畳間を任されたのは、昭和六十一年の秋だった。二十四歳、職人二年目。畳起こしを縁と縁の目地に差し込み、てこで一枚、手前へ起こす。畳一枚は米袋ひとつぶん、起こすと床板が出る。家の人がめったに見ない面が、職人にだけ向く。
床板の上に、三つあった。新聞が一枚。子どもの絵が一枚——クレヨンで、四本足の何かと、その上に大きな丸が描いてあった。犬か馬か、丸は太陽だろう。そして五円玉が一枚。新聞はテレビ欄が上を向いていて、夜八時に「水戸黄門」とあった。日付は十年前。前にこの部屋を起こした年だ。畳の裏には、前の職人が敷いた防虫紙が、銘柄の字も薄れて残っていた。
奥から出てきた奥さんが、覗き込んで「あら、懐かしい」と言った。五円玉を指でつまんで拾い、新聞はそのままでいい、と言った。絵のことは、何も言わなかった。私は新聞と絵を、向きまで元のとおりに戻した。
新しい防虫紙を敷き、その上に表替えした畳を、寸法の順に落としていく。一枚目、二枚目。柱の脇は五分詰めた一枚。歪んだ部屋に、歪ませて作った畳が、隙間なく収まる。何も言わずに、ただ収めた。床板の上の三つは、もう畳の下にある。次に誰かがこれを見るのは、十年後だ。
四十年やって、起こした床板の上に物が載っていることは、年々減った。床下に収納のついた家、合板を張った床、そもそも畳のない新築。物が溜まる隙間が、家から消えていく。最近の表替えは、和室をつぶす前の、最後の一回が多い。
直した畳は数え切れない。一枚も覚えていない。覚えているのは、戻した物のほうだ。五円玉を拾われた、あとの二枚。テレビ欄の「水戸黄門」と、四本足の上の丸。