ミナヅキレン(33歳・内装解体11年)
店舗やオフィスを箱に戻す仕事をしている。けれど居抜きの現場では、箱には戻さない。前の店の設備の一部を、次の借り手がそのまま使う。だから私たちは、壊すものと残すものとを仕分けて、半分だけを解体する。全部を消すより、半分を消すほうが、ずっと気を使う仕事だった。
査定の立ち会いから始まる。次の店の人と、不動産屋と、私たち。三人で厨房を見て回って、何を残して何を引くかを決めていく。動く換気扇は残す。古い製氷機は引く。カウンターは残す、その奥の間仕切りは壊す。次の人が指を差すたびに、私はリストに「残」と「解」を書き分けていった。同じ厨房の中に、二つの未来が混じっていた。
残すと決まったものには、先に養生を貼る。壊す壁のすぐ隣に、残すカウンターがある。その天板に毛布をかけ、角に養生テープを巻き、合板で囲ってしまう。隣ではバールを振るうのに、こちら側は一筋の傷もつけられない。解体と保護が、同じ一メートルの中で同居している。守りながら壊すというのは、なんだか妙な手つきだった。
設備の生き死にを判じるのも、立ち会いの仕事だ。換気扇のスイッチを入れる。低く唸って、羽根が回りはじめる。これは生きている。製氷機の電源を入れて、しばらく待つ。庫内は冷たくならない。これは死んでいる。生きているものは譲渡リストに載せ、死んでいるものは解体材として運び出す。次の人に渡すリストは、正直でなければならなかった。動くと書いて動かなければ、それは嘘になる。
部分解体は、図面の上に引かれた一本の線で決まる。全部壊すなら、どこまで壊すかを考える必要はない。けれど居抜きでは、ここまでが解体範囲、ここからは残置と、図面に赤い線が走っている。その線の手前と向こうとで、私の手つきはまるきり変わる。線の一本が、壊す壁と残す壁とを分けていた。線を見失えば、残すべきものを壊してしまう。
前の店の名残は、残すものの表面にも貼りついている。カウンターの裏に、メニューを留めていた画鋲がそのまま刺さっていた。壁には外した看板の跡が、陽に焼けない四角で白く残っている。残すと決めた壁だから、その白い四角ごと、次の人に引き継ぐことになる。消えるものと残るものの境は、契約ではなく、画鋲一本のところに引かれていた。私はその画鋲を、抜くべきか迷って、結局そのままにした。
リース品は、また別の線の向こうにある。製氷機の隣の生ビールサーバーは、店のものではなく、酒屋がリースで置いたものだった。解体の前に、私は酒屋へ電話を入れる。「サーバー、いつ引き上げに来られますか」。持ち主が来て、自分のものだけを台車に載せて出ていく。誰のものでもない設備など、現場には一つもない。引き上げの立ち会いは、所有の線を確かめる作業でもあった。
解体が半分済んだ昼前、次の店の内装屋が下見に来た。私たちが運び出す材とすれ違うように、彼らが採寸の道具を提げて入ってくる。「カウンター、これ残しでいいんですよね」。私は養生をめくって、傷のない天板を見せる。「動く換気扇はそのまま使えます。製氷機は抜いときました」。一つの厨房を、こちら側からあちら側へ、立ち話で受け渡していった。スケルトンに戻す現場とは違う引き継ぎが、ここにはあった。
居抜きとは、つまり、線を引く仕事なのだと思う。残すものと壊すもの、生きた設備と死んだ設備、自分の所有と他人の所有。そのいくつもの線を、現場の上で正直に引き分けていくこと。全部を消すのではなく、何を残して何を消すかを決めること。それが居抜きの解体なのだと、いまの私は思っている。線を引けるようになって、私はようやく半分だけ壊せるようになった。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。