核は強い。背丁・背標が背の上で階段のように一段ずつ下りる印、無線綴じと糸かがりの開きと寿命の差、断裁機の刃が下りて束が音もなく揃う瞬間、そして「本を作るな。開く道具を作れ」という親方の一言、図書館の棚で名前のない自分の本を背で見分ける場面。これだけ具体物が揃っているのに、書き手はそれを信用しきれていない。匂いと音で職場を情緒的に立ち上げ、留保語尾で逃げ、最後に主題を自分で解説して回収してしまう。製本という、ミリ単位の手加減で食ってきた人間を語り手にしながら、肝心のところで手つきが概念にすり替わるのが惜しい。職業エッセイは、職業の手つきで嘘をつくと全部が嘘に見える。
「あの断裁機の前で聞いた親方の言葉が、開きの良さが、私をいまの私にしてくれた。今日も工場では、糸かがりの機械が、あの湿った音を立てている。」
成長譚の判子を自分で押して終わっています。「私をいまの私にしてくれた」は、校閲者の回想にも料理人の回想にもそのまま貼れる汎用シールで、ミトベゴロウである必然がない。機械の音の余韻で締めるのも、コウノ稿が道具の静物画で締めたのと同じ偽装です。読者に渡すべき余白を、作者が先に塗りつぶしている。背の丸みが「忘れられるために存在する」と自分で言ってしまったら、もう読者が気づく余地はありません。
「ただ、紙の匂いと機械の音に包まれた、あの静かな職場の空気に、なんとなく心惹かれるものがあったのだと思う。」
匂い、音、静けさ、空気。「文学的な職場」を四点セットで安く調達しています。本当に三十三年その工場にいた人間なら、最初に出てくるのは「空気」ではなく、折り機が紙を折るときの乾いた打音か、糊釜の独特の甘い臭いか、冬に冷えて固くなる糊の扱いにくさのはずです。しかも製本工場は静かではない。断裁機も糸かがり機も、轟音とまではいかずとも、決して「静かな職場」ではありません。雰囲気が人物より先に立っており、生成された“それっぽさ”の典型です。
「心惹かれるものがあったのだと思う。」「本に込められた作り手の想いとは、つまりこういう手加減のことなのだろう、と当時の私は思った。」「たいへんな仕事だったと思う。」
製本工は、糊の量も、断裁の追い込みも、ミリ以下で決める職業です。「だいたいこのくらい」では本が壊れる。その人間の回想が「〜だと思う」「〜なのだろう」で埋まっているのは、若手の自信のなさの描写ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに薄紙の工程を「たいへんな仕事だったと思う」で済ませているのは致命的で、この語り手なら糊をどれだけ薄めたか、刷毛をどう動かしたかを、数字や動作で覚えているはずです。
「本に込められた作り手の想いとは、つまりこういう手加減のことなのだろう、と当時の私は思った。」
「本に込められた想い」は、本を語るときに真っ先に湧いてくる紋切り型で、製本工の言葉ではありません。この職人にとって本は「想いの込められたもの」ではなく、開く・閉じる・保つ・壊れる、という物理現象の集合のはずです。見返しの糊の按配の話は具体的でよかったのに、それを「想い」という抽象語に翻訳した瞬間、せっかくの観察が薄っぺらい本愛の標語に化けています。手加減は手加減のまま置けばいい。「想い」と名づけた途端に嘘になる。
「背を見ると、その黒い印が階段のように一段ずつ下りていく。」/「表紙にも背にも、私の名前はどこにも入っていない。それでも背を見れば分かるのだ。」
冒頭で「背丁・背標を見れば順番が分かる」という見事な装置を立てたのに、図書館で自分の本を見分けるクライマックスでは、それを使っていません。「背を見れば分かる」と書くだけで、何を見て分かったのかが空白のままです。自分が綴じた本だと分かったなら、見たのは丸めた背のカーブの癖か、糸かがりの綴じ目の間隔か、見返しの紙の選び方か——背丁の知恵を冒頭で語った語り手なら、背の“どこ”で分かったのかを一点に絞れるはずです。せっかくの装置を、いちばん効く場所で遊ばせている。
「背の丸みは、忘れられるために存在する。」「その器がよくできていれば、読み手は器のことなど忘れて、文字だけに沈んでいける。」
これは完全に主題の解説文です。親方の「読み手は背の丸みなんか見ない。でも開きにくい本は読まれない」が、すでに全部言っている。それを抽象語で言い直すたびに、親方の一言の値打ちが下がっていく。エッセイの主題を主題文として書いてしまったら、それはもうエッセイではなく要約です。「器」「沈んでいける」といった比喩も、製本工の口からは出てこない、書き手の外側の言葉に見える。
「背の丸み、という言葉が、しばらく頭を離れなかった。」
この一文は、教師の回想にも校閲者の回想にも、そのまま置ける空文です。頭を離れなかった、と書くなら、離れなかった結果として何を見るようになったのか——以後ハードカバーを手に取るたび背を指で押すようになった、とか、本屋で平積みの背の丸みばかり見る癖がついた、とか——を書かなければ、その執着は存在しないのと同じ。考えていた中身を書かずに「考えていた」「離れなかった」と報告するのは、人物の内面を持っているふりです。
残すべきは五つ。背の上で階段状に下りる背丁・背標、無線綴じと糸かがりの開き/寿命の差、断裁の刃が下りて束が音もなく揃う瞬間、「本を作るな。開く道具を作れ」の親方の一言、そして図書館の棚で名前のない自分の本を背で見分ける場面。削るべきは、匂いと音の書き割り、留保語尾、「本に込められた想い」の標語、最終段の主題解説。改稿では、薄紙の工程を糊の濃度か刷毛の動作で具体に落とし、図書館の見分けは「背の丸めの癖」など一点に絞ること。そして初めて「開く道具を作っている」と腑に落ちた瞬間を、説明ではなく動作で書いてください。意味は手が運ぶ。標語が運ぶのではない。