背の、丸み(第二稿)
製本所一年目、開く道具を作れと言われるまで

ミトベゴロウ(57歳・製本所の職人33年)

製本は印刷の後ろの工程だ。刷り上がった紙の束がトラックで運ばれてくる。それを折り、丁合し、糸で綴じ、背を固め、表紙でくるみ、三方を断つ。本というかたちは、そこで生まれる。一九九三年、二十四歳でこの工場に入った。

最初に教わったのは丁合の乱丁チェックだ。本の背になる側には、小さな黒い四角が一折ごとに少しずつずらして刷ってある。背丁・背標という。束を立てて背を見ると、その黒い印が階段のように一段ずつ下りていく。一段でも飛んでいたら、どこかの折が抜けているか、順が狂っている。背を見れば順番が分かる。最初にこれを考えた人間は、本を立てて眺める癖のある人だったと思う。

綴じ方には糸かがりと無線綴じがある。糸かがりは針が紙を抜けて糸を送り、束を一折ずつ縫う。無線綴じは背を三ミリほど削り落として、断面に糊を食い込ませる。速くて安い。文庫は無線、辞書は糸かがり。糸でかがった本は、開いたときページが根元まで寝るし、何十年も背が割れない。無線は、何度も大きく開けば、いつか真ん中からごっそり抜ける。同じ本でも、どこまで開かせ、何年もたせるかで、作り方が変わる。

入って半年、断裁機の前で親方に言われた。三方断裁は、綴じ上がった本の天・地・小口を大きな刃で一気に断つ。刃が下りると、ばらついていた束の小口が、音もなくぴたりと一面に揃う。その揃いに見とれていた私に、親方は言った。「本を作るな。開く道具を作れ。読み手は背の丸みなんか見ない。でも開きにくい本は読まれない」。

上製本の背は、まっすぐ固めず、わずかに丸める。丸い背のほうが、開いたときページが素直に寝る。見返しの糊も同じで、多ければ開いたページが手に逆らって閉じようとし、少なければいつか剥がれる。辞書や聖書のインディアペーパーは、向こうが透ける。糊が一筋にじめば、隣のページと貼りつき、開いた拍子に裂ける。だから刷毛は寝かせ、糊は水で割って、束ねた小口に薄く一度だけ刷く。二度刷けば多すぎる。私はその工程を割り当てられるたび、刷毛を持つ手を息で止めるようにして動かした。

入って二年目の休みの日、近所の図書館の棚の間を、何を借りるでもなく歩いていた。一冊の背に目が止まった。背の丸めが、ほんの少し強い。うちの工場の丸み機は癖があって、天より地のほうがわずかにきつく丸まる。手に取って開くと、ページが手のひらの中まで寝た。糸かがりの綴じ目だった。私が綴じた本だ。表紙にも背にも、私の名前はどこにも入っていない。それでも背の丸みのほうに、私の手が残っていた。

その日から、本屋でも図書館でも、まず背を見るようになった。誰かがこの本を借りて、家で、片手で開く。もう片方の手は茶碗でも持っているかもしれない。そのとき背が割れず、ページが根元まで寝て、読み手が紙のことを忘れて文字だけ追えたなら、それでいい。親方の言葉の意味が腑に落ちたのは、図書館で開いたあの一冊が、私の手のことなど少しも要求せず、ただ素直に寝たときだった。

三十三年、何万冊綴じたか覚えていない。直しのきかない断裁の追い込みを、何ミリで止めたかも、もう一つも覚えていない。覚えているのは、図書館の棚で見分けた、あの背の丸みのほうだ。今日も丸み機は、天より地をわずかにきつく、丸めている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。