核は強い。背の割れた辞書がよく引かれた語のページで割れること、酸化した紙は針穴から裂けるので直すと壊れること、修理し直した本の見返しに前の継ぎ紙の跡が残っていること。この観察は、本当に手を動かした人間にしか書けない。問題は、書き手がその観察を信用せず、冒頭で「愛情」という安い言葉を先に置き、最終段で全部を「記録なのだ」と言い直して回収してしまっていることだ。デビュー作で会得したはずの「意味は動作が運ぶ」を、二作目で早くも手放しかけている。
「私はまず本そのものより、その本を抱えてきた人の手のほうを見てしまう。本への愛情が詰まった手だと、いつも思う。」
前半はいい。職人が本より持ち主の手を見る、という視線は鋭い。それを「愛情が詰まった手」で台無しにしている。愛情は、どんな本のどんな持ち主にも貼れる汎用シールだ。この語り手なら、手の何を見るのか。爪の間のインクか、表紙を押さえる指の置き方か、抱え方が辞書と絵本でどう違うかか。具体を一つ出せば「愛情」は要らない。冒頭の一文で結論を言ってしまうのは、デビュー作のレビューで指摘した自己解説の悪癖の再発だ。
「私はその丸い角を、できれば残したいと思ったのかもしれない。」/「本というのは、こうして人の手をつないでいくものなのだろう。」
33年の職人が、自分が何を残したいと思ったかを「かもしれない」で逃げるのはおかしい。残したいと思ったなら、思ったと書く。残すために実際に何をしたか(角は削らず、見返しだけ継いだ、等)を書けば、心理は動作に乗る。「つないでいくものなのだろう」も、断定を避ける作者の保険であって、職人の言葉ではない。デビュー作の第二稿は「それでいい」と言い切れていた。後退している。
「書き込みだらけの参考書も混じっている。傍線、付箋の糊あと、余白の小さな字。」
「傍線、付箋の糊あと、余白の小さな字」は、書き込みという概念を三つに割っただけで、観察ではない。実際にその参考書を開いた人間なら、書き込みの中身が一つ出るはずだ——どの章にいちばん線が集まっていたか、消しゴムで何度も消した跡か、答えが合っていたか間違っていたか。修理屋は紙の物理(糊あとが残る、字でノドが膨らむ)を見る職業なのだから、そこに踏み込めば嘘が消える。
「図書館の本だから、書き込みは消す。けれど、その本がいちばん読まれた証だけは、私の手の中に残る気がした。」
「私の手の中に残る気がした」は気分であって事実ではない。消すという動作はいい。問題はそのあとに抒情のオチを足したこと。消したら消えるのが物理で、それでも残るものがあるなら、それは具体物で示すべきだ(消しても膨らんだノドは戻らない、等)。「〜気がした」で締めるのは、デビュー作で叩かれた「私はしばらく、その意味を考えていた」と同じ、中身のない余韻の偽装だ。
「子どもの代の手と、孫の代の手と、二度直した誰かの手と、私の手が、一冊の見返しの裏で重なっていた。」
「四つの手が一冊の裏で重なる」は構図として美しすぎて、かえって嘘くさい。前の段の「見返しに古い継ぎ紙の跡があった。私はその上から、もう一度継いだ」——ここで止めれば、手は勝手に重なる。書き手が「重なっていた」と言葉で総括した瞬間、読者が自分で気づく余地が消える。良い具体(前の継ぎ紙の跡)を持っているのに、それを信じきれず説明で蓋をする、この作の最大の病。
「『これは直さないほうがいい』と言うのも、修理屋の仕事のうちなのかもしれない。手を入れないことが、いちばんの修理になる本がある。」
この段の前半は本作で一番強い。糸を通せば針穴から裂ける、糊を引けば崩れる、という物理が、直せないことを論理で示している。なのに「仕事のうちなのかもしれない」と留保で薄め、さらに「いちばんの修理になる本がある」と格言にまとめてしまう。物理で示したものを、わざわざ言葉で説明し直すと、物理の説得力が下がる。酸化した紙の段は、持ち主に何と言って本を返したか、その一言で終われたはずだ。
「壊れ方は、使われ方の記録なのだ。背の割れも、丸い角も、切れた糸も、その本が誰かに愛された分だけ残った傷なのだ。」
致命傷。本文の各段がすでに具体で示したこと(割れる背、丸い角、切れた糸)を、最終段で抽象語に翻訳して並べ直している。しかも「記録なのだ」「傷なのだ」と直叙を二度重ねる。これはエッセイの末尾ではなく要約だ。そして「愛された分だけ」で、冒頭の「愛情」に戻ってきてしまう。愛で始まり愛で終わる円環は、きれいに見えて、何も発見していない。デビュー作の第二稿が最後に「天より地をわずかにきつく、丸めている」と動作で閉じたことを思い出してほしい。意味は動作が運ぶ。説明が運ぶのではない。
残すべきは四つ。よく引かれた語のページで割れる辞書の背、見返しに残る前の継ぎ紙の跡、酸化した紙が針穴から裂けるという物理、修理し直した本に残る「馴染んだ開き」。削るべきは、冒頭と末尾の「愛情/愛された」の円環、留保語尾、最終段の主題解説と直叙の反復。改稿では、持ち主の手を「愛情」と言わずディテールで見せること、二世代の段は前の継ぎ紙で止めること、酸化本は持ち主への一言で閉じること、そして全体を「記録なのだ」と言わずに、馴染んだ開きを残すという一つの動作で終わらせること。直すか直さないかを決めるのが修理屋の仕事なら、書くか書かないかを決めるのが書き手の仕事だ。