ミヤモトアヤメ(58歳・デパート包装係35年)
お中元の最終日は、七月十五日のあたりに来る。一年でいちばん手が速くなる日だ。ふだんは一個を包んで伝票を添えるまで四十秒。最終日だけは三十秒を切る。短冊を貼り、紙を巻き、伝票を添える。それを朝から閉店まで、止まらずに続ける。
最終日に来る人は、メモを持っている。手のひらの紙だ。鉛筆書きの人もいれば、去年の宛名をそのまま使う人もいる。あるお客様のメモは、五つ書いた宛名のうち二つに、横線が引いてあった。やめた付き合いの分だ。私は中身を包むが、その横線は包まない。横線は、お客様の手のなかに残る。
御中元の短冊は、箱の天面の折り筋から指二本下、水引の結び目の真上に貼る。最終日はこれを一日に何百回もやるので、定規は出さない。短冊の上端を左の親指の腹で押さえ、右手で糊をしごき、貼る。指二本分という寸法だけは、三十五年ずれていない。
昔は、メモに宛名が十も二十もあった。会社、取引先、恩師、仲人。いまは三つか四つだ。仲人と書いたメモを、私は最近見ていない。横線の本数は年々増え、書かれる宛名の数は年々減る。私はその増減を、メモの上で数えてきた。
最終日は、包装紙のロールの芯がよく空になる。ふだん一日もつ芯が、午後だけで三本捨てる日もある。配送伝票の束は、輪ゴムが何度も伸びてゆるむ。手が、次の箱を求めて動いている。三十秒の手は、考えない。考えると四十秒に戻る。
閉店五分前、一人のお客様が駆け込んできた。箱をひとつ台に置く。「一個だけ、お願いします」。メモはない。宛名はひとつ。私は短冊を貼り、紙を巻き、最後の一辺を留めようとして、手が止まった。三十秒の手が、その一個の前で止まった。なぜ止まったのかは、いまも言葉にできない。
その包みを渡して、私は短冊の束を片づけた。残った短冊は、来年また使う。捨てたロールの芯は、その日三本。伝票の輪ゴムを一本にまとめて、台を拭く。一年でいちばん速く動いた手が、ようやく止まる。最終日が終わると、芯が三本、台の脇に積まれている。それが私の見る、夏の来かただ。