お中元の、最終日
七月十五日、台の前に並ぶのは間に合わせる人たちだ

ミヤモトアヤメ(58歳・デパート包装係35年)

七月の半ば、お中元の最終日が来る。窓の外には夏の白い光が満ちていて、包装台のまわりには汗ばんだ人の気配が静かに漂っていた。私はこの日が、一年でいちばん手の速くなる日だと知っている。短冊を貼り、紙を巻き、伝票を添える。その繰り返しが、朝から閉店まで続く。

最終日に来るお客様は、たいていメモを持っている。手のひらほどの紙に、宛先が書いてある。会社の総務部、子どもの習い事の先生、それから仲人。私は中身を見ないので、その紙だけが、その人の付き合いの地図に見えた。お客様はメモを見ながら「これとこれを、別々のところへ」とおっしゃる。

御中元の短冊は、紙の上のほう、中央に貼る。水引の結び目の真上、表書きが箱の正面から見て真ん中に来る位置だ。最終日は枚数が多いから、短冊の束を台の右手にあらかじめ積んでおく。一枚取って、糊をつけて、貼る。指が位置を覚えているので、もう定規はいらない。

三十五年、この最終日を見てきて、ひとつ確かなことがある。お客様の持つメモが、年々短くなっていることだ。昔は宛先が十も二十もあった。会社の上司、取引先、親戚、恩師、仲人。いまは三つか四つ。仲人という言葉も、もうあまり聞かない。お中元という習わしそのものが、少しずつ細くなっていくのを、私はこの台の前から見ていたのだと思う。

最終日は、包装紙のロールの替わりが早い。いつもなら一日で替えない芯が、この日は何度も空になる。配送伝票の束も、輪ゴムが何度も外される。私の手は、この日だけは流れるように動く。一個を包んで伝票を添えるまでが、たぶん三十秒もかからない。手が、私の意志より先に動いているような気がした。

夏の制服は半袖で、袖口が手首で揺れる。冷房の効いた売り場でも、最終日の午後は腕が汗ばむ。短冊の糊が指に残り、紙の粉が袖に薄くつく。閉店間際になると、館内に蛍の光が流れはじめる。その旋律を聞きながら、私はまだ台の前にいる。

閉店五分前、一人のお客様が駆け込んでこられた。息を切らして、箱をひとつ台に置く。「一個だけ、お願いします」。メモはない。宛先はひとつだけ。私はその「一個だけ」を、いつもの三十秒では包めなかった。間に合わせるために来た人の、最後の一個は、私の手のなかでなぜか重かった。

その人の包みを渡し終えて、私は短冊の束を片づけた。残った短冊は、来年また使う。台を拭き、ロールの芯を捨て、伝票の輪ゴムをまとめる。一年でいちばん速く動いた手が、ようやく止まる。最終日が終わると、夏が本当に来たのだと、いつも思った。

あれから幾度の夏を、私はこの台で送ったことだろう。メモは短くなり、宛先は減り、お中元という制度はゆっくり縮んでいく。それでも私は、その縮んでいくものを、紙一枚で包み続けるのだ。間に合わせに来る人がいるかぎり、私の手は三十秒で動く。台の上には、今日も短冊と伝票が静かに並んでいる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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