モギソウスケ(47歳・看板職人25年)
町を歩くと、人は文字を読む。私は字間を読む。看板そのものより、文字と文字のあいだの空きのほうに目がいく。詰めすぎ、空きすぎ、と勝手に値踏みしている。二十五年やって、これだけは直らない。
二〇〇一年の春、二十二歳。職人一年目、親方の隣で、クリーニング屋のガラス戸に店名のカッティングシートを貼っていた。「ホワイトクリーン」。機械で切り抜いたフィルムの要らない部分を剥がし、文字だけを台紙ごと貼る。私は一字ずつ位置を合わせ、これでいい、と思った。
親方が後ろから覗いて言った。「そこ、一ミリ詰めろ」。そこ、というのは「ン」と「ト」のあいだだった。「ン」は右上が大きく空く字だ。隣をそのまま並べると、そこだけ穴が空いて見える。だから詰める。理屈は分かった。分からなかったのは、一ミリという量だった。定規を当てても、当てなくても、私の目には同じに見えた。
このとき貼っていたのは水貼りだった。霧吹きで戸を濡らし、シートを滑らせて位置を決める方式で、糊が利くまでに数十秒の猶予がある。私はその猶予のうちに「ト」を指でずらし、一ミリ詰めて、スキージで水を押し出した。詰めた前と後を見比べた。正直に言う。違いが分からなかった。素人目どころか、貼った本人にも分からない。
親方は手を止めて言った。「いいか、読みやすい看板ってのはな、誰も看板だと思わねえんだ。すうっと頭に入って、見たことすら忘れる。あれ何て書いてあるんだ、って引っかかった時点で、その看板は負けてんだ」。それだけ言って、また自分の手元に戻った。
その晩、銭湯の帰りに、いつも通る道の看板を一枚ずつ見た。ラーメン屋、不動産屋、歯医者。すらすら読めるものは、何も覚えていなかった。ひとつだけ、字間の詰まった整骨院の看板に目が止まった。読めるのに、読みにくい。私は立ち止まっていた。立ち止まらせた時点で、あの看板は負けているのだ、と親方の言葉が腑に落ちた。
店にはもう一人、先代の残した看板の写しが何枚も掛かっていた。先代は筆で文字を書く人だった。やがて出力はインクジェットに移り、文字を手で書く必要も、一枚ずつカスを取る必要も減った。それでも曲面――丸い柱や湾曲したガラス――に貼る腕だけは機械に渡せなかった。脚立の上は地面より風が強い。シートは煽られて暴れる。片手で押さえ、もう片手でスキージを寝かせ、空気を端まで追っていく。寝かせすぎれば滑り、立てすぎれば文字が伸びて歪む。手が覚えるまで、何十枚も無駄にした。
退色した古い看板の字は、痩せる。インクが抜けて線が細くなり、字間だけが間延びして見える。私が詰めた一ミリは、二十年で逆に開いていく。それを見上げて、また字間を読む。直した文字は数え切れず、ひとつも覚えていない。覚えているのは、「ン」と「ト」のあいだの、誰にも分からなかった一ミリのほうだ。