辛口レビュー
——「いざという時」(第一稿)について

編集者(匿名)による第一稿への指摘。対象:マネー見出しの解剖 #3(第一稿)/書き手:タカハシセイイチ

全体要旨

第三回は、「いざという時」一フレーズに集中する設計で、第二回の批評を受けた一系統集中の方針が取り入れられている。シリーズの主題「煽り見出しの解剖」と、書き手の専門領域(保険の必要保障額計算)が一致しており、書き手のFPとしての職能が、煽り構文を解く道具として機能する位置に来ている。問題は、第三回でシリーズに固有の癖が出てきたこと。「煽り見出し批判記事」自体の作法が、シリーズ三作目で輪郭を持ちはじめている:(1)架空合成例の並び方、(2)強調太字でテーゼを置く位置、(3)結末の「自分の言葉に降ろす」推奨、の三点が、各回で同じテンプレートに乗っている。シリーズ全体の自己テンプレ化が進んでいる。

1. 「いつもの並べ方」のセクション・ラベル

section-label:いつもの並べ方

第三回の最初の section-label が「いつもの並べ方」になっている。書き手が、シリーズで毎回同じ運びをしていることを、自覚的に明示しているが、明示することで、シリーズが「定型化された保険記事批判」に変わったことを、読者に知らしめている。シリーズの内的整合性のための明示が、外側から見ると、「シリーズなりの煽り見出しの作法」(毎回の決まった見出し、毎回の決まった順序、毎回の決まった結論)を露呈する。

第二稿では、「いつもの」を取って、別の section-label に書き換える。シリーズの定型を読者に説明しない。

2. 「いざという時」の解体が、整いすぎている

「いざという時」というのは、どんな時を、お考えですか」。返ってくる答えは、一様ではない。「がんになったとき」「事故に遭ったとき」「夫が亡くなったとき」「介護が必要になったとき」「会社を辞めたとき」「子どもが大学に行くとき」。

相談者から返ってくる答えを、六つ並列に列挙している。これは、第二回の批評で指摘された「並列の癖」が、また別の形で出ている。実際の相談現場では、相談者は六つきれいに並べて答えるわけではなく、一つか二つを口にして、それから「あと、なんだろう……」と考える。第一稿は、その思考のリズムを、列挙で潰している。

第二稿では、列挙を「がん、あるいは死亡、あるいは介護」と三つくらいに減らし、しかも順序を「相談者によって違う」と書くだけで列挙しないほうが、現場感に近づく。

3. 「必要保障額の項目」のリスト

遺族年金(公的年金)の見込み額、配偶者の収入、現在の貯蓄、住宅ローンの団信の有無、子どもの教育費の残り、配偶者の今後の生活費。

FP実務として正しい列挙だが、本シリーズで毎回 FP仕事のチェックリストを出しているのと同じ癖。第一回で「八項目」、第二回で「五項目」、第三回で「六項目」のリストが出る。読者は、「またFPのチェックリストか」と感じる。

第二稿では、項目リストを削るか、「公的年金や配偶者収入や貯蓄や教育費の残りなど、いくつかの数字を並べる」と地の文に溶かす。

4. 業界実態の暴露モード

独立系FPと名乗りながら、実際には特定の保険会社の代理店契約のうえで活動している方は、相当数いる。完全に独立して、商品販売の手数料を一切取らないFPは、業界の比率として少数派だ。

FP業界の実態を内側から書く重要なパートで、本シリーズの主題にも沿っている。だが、これを書く位置が、本作の中盤で「記事と広告の見分けがつかない」セクションに入っており、しかも「外資系FPが暴露」という煽り見出しの構文と、書き手自身の暴露とが、同じセクションで重なっている。書き手が、自分が批判している「暴露型」の構文を、無自覚に再演しているのに近い。

第二稿では、業界実態の話を、暴露調にしない。「私自身、FPとして独立しているが、業界全体ではグラデーションがある」程度の、自分の足元からの記述に変える。「外資系FPが暴露」と煽り構文を批判しながら、自分も内側を暴露するのは、自己矛盾に近い。

5. 「乗り換え販売」業界用語の出し方

解約と乗り換えは、保険業界の用語で「乗り換え販売」という。乗り換えのたびに、販売員には新規契約の手数料が入る。

第一回の批評で指摘した「自分ごと化」業界用語のバッジ化と同型。「保険業界の用語で◯◯という」と注釈付きで業界語を出す手つきが、書き手の元・証券マンの資格表示として機能してしまう。

第二稿では、業界用語の名前を出さず、「解約して新しい保険に入り直すことを促す動線が、記事の中で組まれている」と機能だけ書く。用語を伏せる。

6. 「医療保険必要不要論」のバランス論

「日本の公的医療保険(健康保険)が手厚いので、民間の医療保険は不要」という意見と、「先進医療や差額ベッド代を考えると必要」という意見が、両論ある。

両論を提示する書き方は、書き手の中立性を担保する装置として標準的だが、本作の文脈では、両論を並べることで、書き手は「結論を出さない安全圏」にとどまる。煽り見出しが「真偽」と一語で結論を装うことの裏返しに、エッセイは「両論ある」と書いて結論を出さない。両論があることは事実だが、書き手としては、自分の見解(実務上、この方には必要、この方には不要、と分けている、など)を、もう一段出すべき。第一稿は、両論提示で逃げている。

第二稿では、両論の存在を認めたうえで、「私の実務では、◯◯の方には必要、◯◯の方には不要、と判断している」と、自分の判断軸を一段入れる。中立を装って結論を出さないのは、煽り見出しの「真偽」一語と、構造として近い(どちらも、自分の判断責任を取らない)。

7. 結末の「自分の言葉に降ろす」推奨

「いざという時」を一段、自分の言葉に降ろしてみる。それだけ書いて、終わる。

第一回の「定期便を開ける」、第二回の「自分の数字を持つ」、第三回の「自分の言葉に降ろす」と、結末の推奨が「自分の◯◯を◯◯する」型のテンプレートに固まっている。読者は、シリーズ三作読んで、結末で何が言われるかを予測できる。予測できる結末は、煽り見出しの裏返しの定型として機能してしまう。

第二稿では、結末の「降ろす」推奨を変える。本作では、結末を「いざという時」一フレーズの解体作業のあとに、もっと小さな具体(自分が今加入している保険証券を、机から出してみる、など)に置く。あるいは、結末を「自分には書けない」「読者によって違う」とだけ書いて、推奨をしない。

総括と方向

第三回は、シリーズ三作目として、書き手のテンプレートが固まりつつあることが露呈した回。一系統集中の方針自体は良いのだが、その集中の周りに、シリーズ毎回の決まった作法(架空例の並び・FPチェックリスト・両論提示・結末の◯◯推奨)が、まとわりついている。シリーズが、煽り見出し批判の鋳型を作りはじめている。

第二稿に向けて:

シリーズの自己テンプレ化を、第三回で意識的に崩す。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。