揉めない、を疑う
マネー見出しの解剖 #5 相続(最終回)

タカハシセイイチ(家計アドバイザー・CFP・1級FP技能士)

シリーズ最終回として、相続関連の煽り見出しを扱う。相続は、ほかの四回(年金・投資・保険・住宅ローン)と少し違う領域で、金額の話と家族の話が、同じテーブルに並ぶ。煽り見出しは、その並び方に固有の操作を加えてくる。今回はその操作を、書ける範囲で書きたい。

よく目にする見出し

架空の合成例として、相続関連の煽り見出しを並べておく。

並べてみると、共通の前提が見えてくる。「揉める」「争う」「損する」「罠」「落とし穴」。相続は、放置すると揉める、損する、争いになる、という前提が、見出しの全部に通底している。本回では、まずこの前提自体を、少し疑ってみたい。

「揉める」を、問題化する

「揉めない相続」と銘打つ見出しは、暗黙に「揉めること」を問題として位置づけている。揉めることは、たしかに、当事者にとっては辛い経験だ。だが、揉めること自体が「悪いこと」なのか、「対処すべきこと」なのか、「専門家に依頼して回避すべきこと」なのか、は、家族によって違う。

家計アドバイザーとして相続の相談を受けてきた経験から書くと、相続のなかで起きる議論や対立は、たいていの場合、亡くなった方が生きていた時間のなかで蓄積されてきた、家族のあいだの感情の働きの一部だ。相続の場で初めて生じるのではなく、相続の場で表面化するに過ぎない。介護を一人で担ってきた長男の妻、家を継がなかった次男、結婚前に経済的支援を受けた長女、家業を手伝わなかった末っ子——それぞれの記憶と感情が、金額の分配の議論のなかで、それぞれ違う重みを持って現れる。

「揉めない」と銘打って、これら全部を未然に処理することは、本来、無理がある。揉めること自体が、家族の関係性のなかで意味のある手続きである場合がある。揉めて、お互いの言い分を出して、納得して、あるいは納得しないまま受け入れて、関係性が次の段階に進む。煽り見出しは、この「揉めることの意味」を、最初から否定する前提で書かれている。

「揉めない」を絶対善とすると、家族のあいだに溜まっていた感情の処理を、外注することになる。

金額の話に、変換する操作

相続記事に共通するもう一つの操作は、家族の話を、金額の話に変換することだ。「親が元気なうちにしか聞けない、お金の話」と銘打って、本来は親との会話のなかで自然に出てくるはずのこと(親の人生の振り返り、これからの希望、家族への思い)を、「お金の話」一語で全部呼ぶ。呼ばれた瞬間に、親子の会話の主題が、家族の歴史から、金額の確認に移る。

金額の確認は、たぶん、必要ではある。預貯金の状況、不動産の評価、生命保険の受取人、相続税の概算。これらを把握しておかないと、相続の場で、別の問題(相続税の支払い資金不足など)が発生する。だが、これらの確認を、家族の関係性のなかで、どのタイミングでどう切り出すかは、家族によって違う。

「親が元気なうちに」と急かす煽り見出しは、このタイミングの違いを消す。読者全員に、いま親に「お金の話」を切り出すように、急かしてくる。急かされた読者が、準備のないまま親に切り出すと、親の側に、会話が途切れる経験を与えることがある。家計アドバイザーとして相談を受けるなかで、私が見てきたのは、そうやって会話が途切れたあと、子と親の関係が、相続が起きる前から少しずつ硬くなっていく場面だ。

FPに、相続の何が書けるか

独立系FPとして、相続の相談を受けるとき、私が書ける部分と書けない部分を、はっきり分けるようにしている。書ける部分は、金額に関わる作業:相続税の概算、生前贈与の活用法、不動産の評価方法、生命保険を活用した納税資金の準備、遺言書の作成支援(弁護士と連携)、税理士の紹介。これらは、税法と金融の枠組みのなかで、おおむね機械的に進む。

書けない部分は、家族の関係性に関わるすべての判断だ。誰がどれだけ受け取るのが「公平」か、介護をしてきた人にどう報いるか、家業をどう継ぐか、墓をどう守るか。これらは、家計アドバイザーの専門外で、本来は家族のあいだで時間をかけて話し合われるべきことだ。私が口を挟むと、外側から「公平」の定義を持ち込むことになり、家族固有の事情を無視した提案になりかねない。

マネー記事の煽り見出しは、この区分を曖昧にする。「揉めない相続のための鉄則」と銘打って、金額の話と関係性の話を、同じ「鉄則」のなかに並べてしまう。家族の関係性に関する判断を、外側の専門家のテンプレートに任せる、という構造が、見出しの先で組まれている。

「節税」と「関係性」を、同じ計算に並べない

「節税のつもりが裏目に、生前贈与の罠」型の見出しは、節税効果と家族関係を、同じ計算式の中に並べることが多い。生前贈与で相続税を減らすことができる一方、贈与によって兄弟間の不均衡が生じることがある、という話だ。確かに、両方は同時に起きる。

だが、「節税効果」と「兄弟間の不均衡」は、同じ単位で比較できるものではない。前者は円という単位で測れる。後者は、家族の歴史と感情のなかでしか意味を持たない。両方を「節税のつもりが裏目に」という見出しに圧縮すると、関係性の問題が、節税の損得勘定の補助線として扱われる。本当は、節税の話と関係性の話は、別のテーブルで議論されるべきで、別の専門家(FP・税理士と、家族カウンセラーや弁護士)が関わるべき領域だ。

独立系FPとして、私の仕事は、節税の話のテーブルにとどまる。関係性の話のテーブルには、私は入らない。入らないことが、たぶん、家族の関係性に対する誠実さに近い。

五回ぶん書いてみて

シリーズの最終回として、五回ぶんの煽り見出しの解剖を振り返ると、共通していたのは、「読者の状況の個別性を消して、一律の問いかけと一律の解決策を提示する」構造だった。年金で「あなたは大丈夫か」と問い、投資で「素人でも勝てる」と確信を売り、保険で「いざという時」と空白を作り、住宅ローンで「永遠の議論」と判断を保留させ、相続で「揉めない」と関係性を外注させる。

どの回でも、私が書いてきた最小限のことは、煽り見出しが消した個別性を、自分の側で取り戻す、という話だった。年金なら定期便を開ける。投資ならリスク許容度を出す。保険なら保険証券を机から出す。住宅ローンなら自分の机のところで計算を止める。相続では——たぶん、書ける唯一のことは、自分の家族のあいだで時間をかけて話す、ということだ。話す内容は、家計アドバイザーが指示するものではない。話すかどうかすら、家族のなかで決まる。

シリーズを通じて、私は煽り見出しの「やるべき◯つのこと」を再生産しないように書いてきたつもりだ。それでも、シリーズ後半に向けて、私自身の文章が、別の意味でテンプレ化していった可能性は、ある。第一回から第四回まで、結末に「自分の◯◯を◯◯する」という小さな具体行動を提示してきた。それが、シリーズ独自のテンプレートとして、煽り見出しの「やるべき◯つ」を裏返しただけになっていないか、と最終回で振り返って思う。

提示しないことの居心地

最終回の結末で、私が読者に提示できるのは、たぶん、何もない。相続の判断は、その家族のなかでしか決まらない。私が外側から「鉄則」を提示すれば、それは別の煽り見出しになる。

提示しないで終わることは、書き手として、居心地が悪い。読者は、何かを提示してもらうために、記事を読む。提示しない記事は、記事として失敗している、という見方も、ありうる。だが、シリーズ全体で書いてきたことが、提示しないことを学ぶ作業だったのだとすれば、最終回で何も提示しないで終わることが、たぶん、シリーズの結論に近い。

煽り見出しは、空白を許さない。空白を埋めるために、必ず何かを提示する。私のような独立系FPの仕事は、空白を許す側の仕事だ。読者の家族の判断が、私の知らないところで、私が手を出さないところで、進む。進んだ結果が、家族にとってどうだったかは、家族が知っている。私は、知らないままで、たぶん、いい。

本シリーズで私が読者に伝えたかったのは、それだけだ。煽り見出しの「やるべき」リストの裏にある、それぞれの空白を、自分の家計と自分の家族のために、空白のままで保つこと。空白を保てると、煽り見出しは、自分の中に居場所がなくなる。居場所がなくなれば、見出しは、ただの紙の上の文字に戻る。

——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。シリーズ最終回。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。本文中の見出し例はすべて構文を再現した架空合成例で、特定媒体への言及ではありません。相続の判断は、税理士・弁護士・FPなど複数の独立した専門家にご相談ください。