今日の分は、今日まで
製造一年目、残りの観察者になるまで

モリシタユイ(28歳・パン屋製造担当6年)

朝四時に店に入る。一日は時計ではなく、発酵で区切られる。一次発酵の間に成形台を拭き、ベンチタイムの間に粉を計る。オーブンの予熱が上がりきるまでの十五分が、一日でいちばん長い。焼きたての香りが店内を満たして、開店前の店はいつもいい匂いがした。

製造の仕事を始めて六年になる。最初の一年で、私は焼く側の人間になった。けれど本当に覚えているのは、焼いた日のことではなくて、残った日のことのような気がする。一日の終わりに、売れた数を数える人と、残った数を数える人がいる。私はいつのまにか、後者になっていた。

二〇二一年、製造一年目の秋だった。閉店後、売れ残ったパンを量って廃棄記録をつける作業を、初めて一人で任された。番重を作業台に並べて、種類ごとにパンを移し、台ばかりに載せていく。食パン一斤、二百八十グラム。クロワッサン一個、四十二グラム。数字を記録用紙に書き写しながら、私はこれが何の数字なのか、まだよく分かっていなかったと思う。

朝四時から作ったものを、夜八時に袋へ入れる。その手触りが、奇妙だった。同じ食パンを、十六時間前には焼き上がりの熱で持てないほどだったのに、いまは冷えて、耳の角が少し乾いている。捨てるために量るというのは、作るために量るのと、手つきは同じなのに向きが反対だった。

記録を何日かつけているうちに、廃棄の量が動いていることに気づいた。雨の金曜は食パンが残る。運動会のあった土曜は、総菜パンの番重が空に近い。月末の給料日前は全体に重く、近所の小学校の遠足の朝は、菓子パンだけがごっそり減る。残りは天気と曜日と、近所の行事で動いていた。私はそれを、記録用紙の数字の並びとして見ていたのかもしれない。

ある夜、ホワイトボードの前で先輩が明日の製造数を書いていた。私はそこで、ひとつのことに気づいてしまった。「焼く数を決める」というのは、「捨てる数を予想する」ことと、たぶん同じだ。ゼロにはできない。足りなければ棚は寂しいし、余れば番重が重くなる。焼く数とは、明日どれだけ残すかをあらかじめ引き受ける数なのだった。

それからの私は、残りの観察者になった。値引きシールを貼るのは販売の仕事で、フードバンクに回すのは店の方針で、どちらも大事だけれど、私の持ち場はもっと手前にある。残す数を一個でも正しく予想すること。雨の金曜の食パンを二斤減らして仕込むこと。製造側にできるのは、捨てる前に、捨てる量を当てにいくことだった。

いまでも閉店後の番重の重さで、その日が思い出せる気がする。残りの記録をつけてきた日々が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。明日の粉を計りながら、私は今日の残りの数を頭の隅に置いている。今日の分は、今日まで。明日のパンは、明日の朝四時に、また一から焼くのだから。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。