核は強い。蛾一匹のために夜通し開閉していたドア、開放モードを戻し忘れて秋まで気づかれない無駄、台風前に「開く機械を開かないよう固定して回る」倒錯。この三点は、この修理工にしか書けない。問題は、書き手がその三点を信用せず、蝉と陽炎の書き割りで夏を立ち上げ、留保語尾で身を守り、最終段で「閉まることもドアの仕事」と主題を自分で説明してしまっていることだ。前作の到達点だった「意味は動作が運ぶ」を、この稿はところどころで手放している。
「今日も私は、見えない範囲を測りに行く。それが、私の夏のしまい方だ。」
前作の末尾「今日もどこかで、誰かが開かないドアの前で一歩下がっている。そのために私は、見えないセンサーの範囲を、そっと測りに行く」の、ほぼ焼き直しです。同じ人物が同じ締め方を二度するのは継続ではなく手癖。しかも「私の夏のしまい方だ」は、情景を題に回収する自己解説で、余韻の偽装。夏のしまい方を語に言わせず、設定を戻す手の動作だけで終わらせるべきです。
「窓の外には蝉の声がいつまでも響いていて、エアコンの効いた事務所に通報票が一枚ずつ積み上がっていく季節だ。」
蝉、エアコン、積み上がる書類。三点セットで「夏の職場」を安く調達しています。十六年この仕事をした人間の夏は、蝉ではなく、現場のガラスの照り返しの熱さや、戸袋の中にたまった土埃が湿気で固まる感触のはずだ。雰囲気が人物より先に立っている。陽炎の一行(「直射日光で熱せられたアスファルトの上を、陽炎がゆれる」)も同じ穴で、しかもこれは誤検知の例として挙げながら、陽炎をセンサーが拾うのかどうかの技術的裏づけがない。
「あれは、少しさびしい眺めだった。」「ドアにも休みがあっていいのだと、つい思ってしまう。」「あの数秒に似ている。」
原因を範囲と待ち時間という数値で詰めていく人物の語りが、感想のところで急に「さびしい」「つい思ってしまう」とふやけます。とくに停電復帰を「寝起きに自分がどこにいるのか分からない、あの数秒に似ている」と人間に喩えるのは、この語り手の手つきではない。彼ならドアの初期化を、何が消えて何を測り直すか(検知範囲か、開閉速度か)で語れるはずで、比喩に逃げた瞬間に職業の信用が落ちる。
「入口に立てたのぼり旗が、風でゆらゆらと検知エリアに入る。」
「ゆらゆらと」は擬態語であって観察ではない。実際に直した人間なら、旗のどの高さがセンサーのどの角度に入るか、布か旗竿の影のどちらが拾われるか、という具体が出るはずです。前作では同じのぼり旗を「風で旗が揺れるたび、センサーがそれを人だと見ていた」と、検知の理屈まで書けていた。今作はその精度から後退して、概念で済ませている。蛾の現場(核)が効くのは具体だからで、のぼり旗が概念だと、並べたときに差が出てしまう。
「私は検知範囲の手前のラインと、閉じるまでの待ち時間を、店の気持ちのぶんだけ動かす。」
方向が書かれていない。冷気を逃したくない店には待ち時間をどちらへ動かすのか、出入りを妨げたくない店にはどちらか。前作では「靴一足ぶん前に出したり、奥へ引いたり」と、手と身体の単位で書けていた。ここは「店の気持ちのぶんだけ」という抽象に逃げている。この一文は、どの設定作業にも貼れる汎用文で、夏である必然も、この店である必然もない。
「閉まることもドアの大事な仕事なのだ、と、台風前の静かな店内で、私はあらためて思う。」/「ドアにとっては開くも閉じるも同じ一つの仕事で、人間だけがそれを、迎えると拒むに分けたがるのだということ。」
前者は、台風前にドアを固定して回るという行為がすでに全部言っている。「開く機械を、開かないように固定して回る」という倒錯の一文が核なのに、その直後で「閉まることもドアの仕事」と地の文で解説したら、行為の値打ちが下がる。後者はもっと悪く、エッセイの主題を主題文として書いてしまっている。これはエッセイの末尾ではなく、エッセイの要約です。
「機械は嘘をつかない。ただ、人の多さを、休む理由にしてくれないだけだ。」
「機械は嘘をつかない」は、工場の技師にも、計測器の話にも、そのまま置ける格言で、自動ドアの修理工である必然がない。言いたいこと(センサーは範囲の中に誰かいれば律儀に開け続ける)は、すぐ前の「誰かが必ず範囲の中にいるから、ドアにとっては『ずっと一人の人がそこにいる』のと同じことになる」で、すでに具体的に言えている。格言は、その具体を薄めるだけです。
残すべきは四つ。蛾一匹のために夜通し開閉していたドア、開放モードを戻し忘れて秋まで気づかれない無駄、「閉まらないドアは開かないドアより通報が遅い」という観察、そして台風前に開く機械を固定して回る倒錯。削るべきは、蝉と陽炎の書き割り、留保語尾、「機械は嘘をつかない」の格言、最終二段の主題解説。改稿では、設定をいじる手を方向まで書いて職業の精度を取り戻し、台風と最終段は地の文の説明を消して、固定して回る手と、設定を戻す手の動作だけで終わらせること。意味は動作が運ぶ。説明が運ぶのではない。