ムカイダソウマ(38歳・自動ドアの修理工16年)
夏になると、通報の中身が変わる。冬は「開かない」が多いが、夏は「閉まらない」が増える。窓の外には蝉の声がいつまでも響いていて、エアコンの効いた事務所に通報票が一枚ずつ積み上がっていく季節だ。
「閉まらない」というのは、たいてい故障ではない。人が多いのだ。夏のセールの店先には、ひっきりなしに客が出入りする。センサーは律儀にそれを拾い続けて、ドアは開いたまま、閉じる暇を失う。誰かが必ず範囲の中にいるから、ドアにとっては「ずっと一人の人がそこにいる」のと同じことになる。機械は嘘をつかない。ただ、人の多さを、休む理由にしてくれないだけだ。
誤検知の犯人は、夏はとくに分かりやすい。入口に立てたのぼり旗が、風でゆらゆらと検知エリアに入る。直射日光で熱せられたアスファルトの上を、陽炎がゆれる。そして虫だ。夕方、明かりに寄ってきた羽虫の影が、センサーの前をよぎる。ガラスにとまった一匹の蛾のために、ドアが夜通し開いたり閉じたりしていた現場もあった。誰も通らないのに、ドアだけが働き続けている。あれは、少しさびしい眺めだった。
店ごとに、注文は逆を向く。冷気を逃したくない店は、一秒でも早く閉めたい。「お客さんが通り抜けたら、すぐ閉めて」と言う。出入りを妨げたくない店は、その逆だ。「閉まりかけて挟まれたら困る、ゆっくりでいい」と言う。私は検知範囲の手前のラインと、閉じるまでの待ち時間を、店の気持ちのぶんだけ動かす。電気代と、客あしらいと、その店の夏の事情が、設定値の一段ぶんにぜんぶ詰まっている。
夏に多いのが「開きっぱなしにしてください」という依頼だ。搬入の日、大売り出しの日、空気を入れ替えたい日。ドアを開放モードに切り替えて、固定する。そうやって役目を外されたドアは、ただの枠になる。風が通り、人が通り、ドアはもう誰のことも数えない。あの解放された姿を見ていると、ドアにも休みがあっていいのだと、つい思ってしまう。
困るのは、その設定を戻し忘れることだ。秋口になって涼しくなった頃、「ドアが閉まらない」という通報が来る。行ってみると、夏に開放モードにしたまま、誰も戻していなかった、というのがある。閉まらないドアは、開かないドアより、通報が遅い。開かなければ人はすぐ困るが、開きっぱなしなら、とりあえず通れてしまうからだ。不便は気づかれるのが早く、開けっ放しの無駄は、誰にも気づかれないまま秋まで続く。
停電のあとも、忙しくなる。落雷で電気が落ちて、復旧すると、ドアはいったん自分を見失う。検知範囲を測り直し、開閉のタイミングを覚え直す。人間で言えば、寝起きに自分がどこにいるのか分からない、あの数秒に似ている。私は電源を入れ直し、ドアの前を何度も歩いて、学習が落ち着くのを待つ。機械が記憶を取り戻していくのを横で見ているのは、悪くない時間だ。
台風が近づくと、注文はまた変わる。「ドアを固定してほしい」「念のため鍵をかけて、動かないようにしてほしい」。風で勝手に開いては、店の中に雨が吹き込む。だから台風の前に、私はドアを止めに回る。開くための機械を、開かないように固定して回るのは、妙な仕事だ。閉まることもドアの大事な仕事なのだ、と、台風前の静かな店内で、私はあらためて思う。
夏の終わり、設定を戻す巡回をする。開放モードを解除し、検知範囲を元に戻し、待ち時間を一段、冬寄りに動かす。役目を返されたドアは、また人を数えはじめる。開いて、閉じて、開いて、閉じて。十六年見てきて思うのは、ドアにとっては開くも閉じるも同じ一つの仕事で、人間だけがそれを、迎えると拒むに分けたがるのだということ。今日も私は、見えない範囲を測りに行く。それが、私の夏のしまい方だ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。