ナガサワコウタ(31歳・駅の遺失物係8年)
遺失物には保管期限がある。およそ三か月。その日を過ぎても引き取られなかった物は、警察署を経由した手続きを踏んで、処分や売却に回る。台帳の上では、それは一行の判子で済む。けれど棚の上では、それは積み上げられた量として残る。
期限の近づいた物には、保管期限のラベルを貼る。届いた日付に三か月を足した日が、赤い文字で印字されている。月の終わりになると、そのラベルの日付を読みながら、棚を一段ずつ片づけていく。雨の続いた季節の駅には、置き忘れられた孤独のようなものが、傘の数だけ溜まっていくのだと思う。
今日は、期限の切れた傘をまとめる日だった。ビニール傘を二十本ほど、ビニール紐で束ねて縛る。骨の折れたものは束に入れず、別にする。一束を作るたびに、結び目を二回まわして締める。紐が指に食い込むので、軍手をする。束ねた傘は、業者のトラックに積む。トラックの荷台は、すでに半分が傘だった。
名前の入った定期入れは、たいてい持ち主が現れる。台帳の品名欄に氏名を書けるものは、帰りやすい。逆に、ビニール傘はほとんど現れない。品名欄に書けるのは「傘・ビニール・透明」だけで、棚にはその「傘・ビニール・透明」が何十本も並ぶ。物の帰りやすさには、たぶん法則のようなものがあるのだろう。
引き取りに来た人は、台帳のサイン欄に名前を書く。受領のサインだ。三か月のうちに、サイン欄が埋まった行と、空いたままの行がある。空いたままの行の物が、今日トラックに積まれる物だ。私は束を縛りながら、その行のことは思い出さないようにしている。品名欄の字面だけを覚えて、持ち主の顔は想像しない。
警察署への引継書類には、品名と本数を書く。「傘・ビニール・透明 三十二」。署の窓口に書類を出すと、判子が一つ返ってくる。物はそこで、私の台帳から消える。番号が抹消され、棚の段が一つ空く。空いた段には、また新しい傘が並びはじめる。
定期入れの束は薄く、傘の束は重い。同じ三か月を待っても、現れる物と現れない物がある。名前のある物は呼ばれ、名前のない物は呼ばれない。当たり前のことのようでいて、棚の前に立つと、その当たり前が量として目の前にある。トラックの荷台で、透明な傘が透明なまま重なっていく。
束ね終えて、台帳を閉じる。閉じる前に、今日積んだぶんの行を見る。品名欄の「傘・ビニール・透明」という字面だけが、私のなかに残る。誰がどんな雨の日に置き忘れたのか、私は知らないし、想像もしない。物たちの三か月が、この仕事の意味なのだと思う。名前のない物を、名前のないまま見送ること。それが、失くされた物の側に立つということなのかもしれない。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。