定期入れの、名前
連絡のついた遺失物が、それでも帰らない日のこと

ナガサワコウタ(31歳・駅の遺失物係8年)

名前のわかる遺失物には、連絡欄がある。台帳の品名の右にもうひとつ、小さな欄。鉄道会社の控えと照合がつけば、登録された連絡先に電話がかかる。電話がついたら、その欄にチェックを入れる。私はそのチェックを、八年押してきた。

定期入れは、名前のわかる物のうちでもいちばん帰りやすい物のはずだった。定期券には区間が刷ってある。区間の片方が学校の名前のこともある。通学定期なら、駅名のかわりに学校名が入る。名前と、通う先と、毎日の往復が、一枚の券面に揃っている。これだけ手がかりがあれば、たいていは帰る。

それでも、連絡欄にチェックが入ったあとで、棚から動かない定期入れがある。電話は繋がった。「ああ、はい」と、たしかに本人が言った。取りに来てください、と伝えた。「はい」と言った。それで、来ない。一週間が過ぎる。二週間が過ぎる。棚の上で、チェックの入った定期入れだけが、誰かを待っているように見えてくる。

来ない理由は、たぶんわかっている。新しいのを買った方が早いのだ。窓口まで来る電車賃と、並んで書く受領のサインと、その時間。それを足したら、再発行のほうが安い。本人がそう計算したことを、私は責められない。合理的なのだから。それでも、連絡のついた物が来ないことには、名無しの傘とは違う、奇妙な後味がある。

電話の記録には、呼び出しの回数も書く。三回で出れば「3」。出なければコール数を書いて、日を変えてかけ直す。ある通学定期は、一度で繋がって、「3」とすら書かなかった。一発で出た。出て、ああはい、と言って、それきりだった。記録の上では、いちばん早く連絡のついた物が、いちばん長く棚に残っている。

ICカードのことも、ときどき頭をよぎる。定期券にチャージの残額があれば、本人にとっては惜しいはずだ——とは思うが、私たちは残額を勝手に確認しない。読み取り機にかざせば額は出るが、それをするのは権利の話になる。預かっている物の中身を、私の判断で開いてはいけない。だから残額のことは、想像するだけで、台帳には書かない。

名前のわかる物が期限を迎えるのは、名無しの傘より始末が悪い、と感じてしまう。傘は誰のものでもないまま消える。定期入れは、誰のものか券面に刷ってあるのに、その誰かに呼ばれないまま消える。名前を呼んでも来ない物のほうが、名前のない物より、見送るのがつらい気がするのだ。これはたぶん、係としては正しくない感じ方なのだろう。

保管期限の当日、引き取りのなかった物は引き継ぎ箱に移す。朝のうちに棚から外して、品名と番号を控えて、箱に入れる。例の通学定期も、その朝、箱に入れた。連絡欄にはチェックがある。電話記録には「3」もない、一発の通話がある。サイン欄だけが、最後まで空いていた。私は箱の蓋を閉めて、次の番号に移った。

結局のところ、物には待つことなんてできないのだと思う。待っていたのは私のほうで、定期入れはただ、棚の上で番号のまま並んでいただけだ。名前を見て、学校を見て、空いたサイン欄を見て、来てほしいと思っていたのは係である私だった。八年やってきて、私はまだ、名前のわかる物を見送るのが苦手なのかもしれない。それでも明日も、連絡欄にチェックを入れる。それが私の仕事だから。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。