核は強い。霧吹きで湿らせて「煙草一本ぶん」待つ剥がし、破れの高さで犯人を当てる目、そして「教えてしまえばその家の仕事は二度と来ない」という商売の冷たい一線。この三点だけで一本立つ。問題は、書き手がその三点を信用せず、和の光の常套で場面を額縁に入れ、最終段で「日本の暮らし」と主題を直叙して全部を回収してしまっていることだ。建具屋の手つきは要所で確かなのに、地の文がそれを観光案内の口調で薄めている。職業エッセイは、職業の手が確かなぶんだけ、添えられた叙情の安さが目立つ。
「障子の白い光、それこそが日本の暮らしというものなのだ。古い紙を剥がし、桟を拭き、新しい紙を張る。この繰り返しのなかに、日本人の季節の感覚が宿っているのだと、いまでは思う。」
エッセイの主題を、最後に主題文として書いてしまっています。「日本の暮らし」「日本人の季節の感覚」は、この職人が言うには大きすぎる言葉で、どの和風パンフレットの結びにも貼れる汎用シール。ナギラコウである必然がない。飴色の部屋が白い光で持ち上がる、という直前の観察がすでに十分効いているのに、その上から解説で蓋をして、読者の余白を作者が先に埋めている。
「柔らかな和の光に包まれた日本の秋、とでも言えばいいのだろうか。」
「柔らかな和の光に包まれた」は、生成テキストが和の情緒を安く調達するときの典型句です。デビュー作で「木の温もりに包まれた仕事」を自分でいなした書き手が、二作目で同じ「包まれた」に戻っているのは退行。三十年この季節を見てきた職人なら、出てくるのは「光」ではなく、立て続けに鳴る電話か、剥がした紙を捨てる袋の嵩か、霧吹きで湿った指先の冷たさのはずです。雰囲気が人物より先に立っている。
「待つのは、たぶん職人の大事な仕事なのだと思う。」「あの、たるみが消えていく数十分が、この仕事のいちばんの役得かもしれない。」「たぶん、迷いながらも教えてしまうのだろう。」
三十年やってきた職人は、自分の手の段取りを断定で語ります。待つことが大事かどうか、自分の役得がどこにあるか、それは迷う対象ではなく、すでに身体で決まっていることだ。「たぶん」「かもしれない」「だろう」が連続するのは、慎重な職人の心理ではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに「待つのは、たぶん職人の大事な仕事なのだと思う」は、急ぐと桟を傷めると一段落前で言い切っているのだから、ここで濁すと前言が弱くなる。
「剥がしたあとの桟には、何年ぶんかの埃と、古い糊の跡が筋になって残っている。」
「何年ぶんかの埃」は概念であって観察ではない。実際に桟を拭いた人間なら、古い糊が乾いて何色になっているか、雑巾を当てたとき紙の繊維がどう毛羽立つか、桟の組子の交差する角に埃がどう溜まるか、一つでも具体が出るはずです。「障子が太鼓の皮のように張り詰めていく」の比喩は効いているのに、掃除のくだりだけ抽象に流れている。手を動かした場面ほど、固有名で書けるはずなのに書いていない。
「湿らせて、煙草一本ぶん待つ。それくらいでちょうどいい。」/「腰より高いところの破れは大人の不注意、低いところの破れは猫か子どもだ。」
前者の「煙草一本ぶん」は良い。デビュー作の「一分」「三分」という具体の系譜にある。問題は、せっかく時間の単位を出したのに「それくらいでちょうどいい」と自分で曖昧化していること。後者の「腰より高い/低い」も惜しい。猫と子どもを同じ「低い破れ」でくくっているが、職人ならその二つを区別できるはずです——猫は爪で引っかけるから縦の裂け、子どもは指や玩具で突くから穴。犯人が分かる、と言うなら、破れの形まで書いて初めて本当になる。
「細さの世界に、職人は何年もかけて入っていく」——いや、これは前作。今作では「地味だが、ここを省くと仕上がりに出る。」
「地味だが、ここを省くと仕上がりに出る」は、塗装でも、寿司でも、製本でも、そのまま置ける標語です。何が、どう仕上がりに出るのか——糊の跡が残った一点だけ紙が盛り上がって乾く、という具体は同じ段落で書けているのだから、この標語の一文はむしろ邪魔。具体が立っている横で、汎用の教訓を添えると、具体のほうが格言の挿絵に見えてしまう。
「教えるか、黙って仕事として受けるか——その間合いのところで、私はいつも少しだけ迷うのかもしれない。」
このエッセイでいちばん鋭い主題は、「張り替え方を教えてほしい」という時代に、職人が教えれば仕事を失う、という冷たい算盤です。ところが書き手はそれを「少しだけ迷うのかもしれない」と情緒に逃がしてしまった。迷いを書くなら、迷った末に何をしたか——教えながら肝心の糊の濃さだけは言わなかったとか、一度だけ全部教えて、その家から二度と電話が来なかったとか——動作と結果で書くべきです。意味は動作が運ぶ。心情の独白が運ぶのではない。
残すべきは四つ。霧吹きで湿らせて待つ剥がし(急ぐと桟を傷める、という因果)、桟の糊跡を拭く地味な手、破れの高さと形で犯人を読む目、そして教えれば仕事を失うという商売の一線。削るべきは、「和の光に包まれた」の常套、留保語尾、「日本の暮らし」「日本人の季節の感覚」の主題直叙。改稿では、最終段の解説を捨て、飴色の部屋が白い光で持ち上がる動作だけで終わらせること。破れは猫の縦裂きと子どもの穴を書き分け、教える/受けるの迷いは独白でなく一つの動作に落とすこと。意味は動作が運ぶ。