敷居の、すべり
弟子入りの年、家を疑えと言われるまで

ナギラコウ(56歳・建具職人30年)

建具を作って三十年になる。障子、襖、戸、格子。木の温もりに包まれた仕事だと言われることがあるが、私のしていることは、もっと素っ気ない。木を削り、組み、寸法どおりに納め、戸が静かに動くようにする。ただそれだけのことを、三十年続けてきた。

弟子入りしたのは一九九六年、二十六の年だった。最初に覚えさせられたのは鉋だ。親方の鉋屑は、向こうが透けて見えるほど薄かった。私のは、最初、味噌汁の出汁殻みたいに分厚くて、桟の角がいつも丸くなった。障子の桟は細い。細さの世界に、職人は何年もかけて入っていくのだと思う。

組子も覚えた。釘も接着剤も使わず、木と木を切り欠いて組む。緩ければ抜け、きつければ割れる。その間の、髪の毛一本ぶんのところに納まったとき、組子は手を離してもびくともしない。木が木を掴んでいる。あの感触を初めて出せた日のことは、よく覚えている気がする。

ある日、何度直しても閉まりの渋い引き戸があった。私は戸を疑い、削り、また削り、それでも渋い。親方は私の手元を見て言った。「建具を疑う前に家を疑え。戸が重いのは戸のせいとは限らん。家は生きとる。傾くんだ」。そして親方は、戸ではなく敷居を指でなぞり、鴨居を見上げた。

敷居の溝は、長年の開け閉てで、戸の通り道のところだけ艶が出て、わずかに窪んでいた。鴨居は、その家の二階の重みを何十年も受けて、真ん中がほんの少し下がっていた。親方は柱に下げ振りを当てた。糸が、柱からじわりと離れていく。家全体が、北へ傾いていたのだ。戸は、正しかった。歪んでいたのは家のほうだった。

その頃には、新しく建具を入れる家より、直す家のほうが増えていた。引き戸をやめて、洋風のドアに替えたいという家も多かった。ドアは蝶番で吊るから、敷居がいらない。床を這う一本の溝が、家から消えていく。私はそのたび、少し寂しいような気もしたのかもしれない。

渋い引き戸には、昔ながらの手当てがある。敷居に蝋を引くのだ。蝋燭の切れ端を溝にこすりつけ、布で薄くのばす。たったそれだけで、戸はずいぶん軽くなる。化学の滑り材もあるけれど、私は今でも蝋を使う。木が呼吸する道を、塞ぎたくないからだ。

削り直した戸を担いで家に戻る。建具は平らに担ぐと撓むから、立てて、肩で背骨のように支えて運ぶ。敷居に蝋を引き、戸を溝に落とし、指一本で押す。すーっと、音もなく端まで走って、ことり、と止まる。その瞬間、施主が小さく「あ」と声を上げる。あの「あ」のために、私はこの仕事をしているのだと思う。

あの日、親方に「家を疑え」と言われてから、私は戸を見る目が変わった。建具は、家の歪みを測る道具なのだ。重い戸、閉まらない襖、隙間の空く障子——それは家が小さな声で訴えている悲鳴で、建具屋はそれを最初に聞く者なのだと、いまでは思う。あの敷居のすべりが、私をいまの私にしてくれた。鉋は、今日も研いである。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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