拍手を、訳すかどうか(第二稿)
講演会の壇上で、音を手に乗せるかどうかの判断

ナカガワミオ(45歳・手話通訳者20年)

立ち位置は演者の斜め後ろ。客席のろう者から、演者の顔と私の手が同じ視野に収まる角度を探す。照明は演者に当たるから手元は暗い。開演前に主催者を呼び、足元の補助灯を私の側へ十五度ほど振ってもらう。手元が見える明るさを作る。それが最初の仕事で、二十年やっても照明は毎回ゼロから頼む。

講演は二人で組む。一人が訳しつづけられるのは十五分から二十分だ。集中が切れると手が雑になり、雑な手は嘘をつく。だから相方と、文の切れ目で、目だけの合図で音もなく入れ替わる。客席からは、一組の手が途切れず動いているように見える。継ぎ目を見せないことも、訳のうちだ。

拍手は見える。演者が話し終え、客席が手を打つ。打っている人々の動きは、見えない人にも届く。私は両手を顔の高さに上げ、てのひらを小刻みに回す。ろう者の拍手だ。先週の会場では、最前列の聴者が二人、つられて手を打つのをやめ、手のひらを回しはじめた。依頼者がそれを見て、笑って、自分も回した。あの三秒だけ、客席の一角がろうの拍手になった。たいていは、私の手だけが回っている。

難しいのは笑いだ。拍手は事実として見えるが、笑いは見えない。演者が何か言って会場が沸く。「沸いた」という事実なら手で示せる。だが笑いには種類がある。温かい笑いのときは、私は眉と口もとをゆるめ、両手を胸の前でゆっくり大きく開く。気をつかった愛想笑いのときは、表情を動かさず、「会場・笑う」とだけ短く置く。一部の席だけの薄い笑いのときは、手を小さく速く震わせて、さざ波が前から後ろへ抜けていく質感にする。手の大きさと速さで、私は笑いの温度を訳し分けている。訳し分けた時点で、それは私の判断だ。

依頼者とは事前に打ち合わせる。「会場の笑いは、起きたことだけでいいか、雰囲気まで要るか」。ある男性は「事実だけでいい、判断はこっちでやる」と言う。彼には「会場・笑う」とだけ置く。ある女性は「みんなが笑っているのに自分だけ取り残されるのが一番つらい」と言う。彼女には手の大きさで温度まで渡す。同じ笑いが、相手によって、事実になったり温度になったりする。誰に渡すかまでが、訳だ。

派遣のあと、報告書を書く。開始終了時刻、会場、講演主題、特記事項。今日の特記事項欄に私が書いたのは「内容区分・講演/所見なし」の一行だけだ。「失笑を、さざ波の手で訳すか迷い、結局事実だけ置いた」は、欄に入らない。迷った半秒は、丸印の外にこぼれる。

講演の途中、後方で携帯が鳴った。間の悪い、大きな着信音。聴者の客席が一瞬ざわつき、演者が言葉を止めた。これは演者の言葉ではない。訳すべき情報か、捨てるべき雑音か。私の手は宙で止まる。相方が横で、わずかに眉を上げた。出せ、の合図だ。私は手を動かす。「後ろで、電話。演者、止まった」。依頼者が、後ろを振り返った。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。