手が止まった日
通訳者一年目、訳せない言葉に出会うまで

ナカガワミオ(45歳・手話通訳者20年)

手話通訳の仕事を二十年続けている。私の仕事は、音声の日本語を手話に、手話を音声の日本語に、二つの言語のあいだで運ぶことだ。たいていの言葉は運べる。けれども、運ぼうとした瞬間に手のなかで形を失う言葉が、いくつかある。私が書きたいのは、訳せたもののことではなく、訳しきれなかったもののことだ。

はじまりは二〇〇六年、私が二十五歳、通訳者になって一年目のことだった。その日、私は市内の総合病院の診察に、ろうの依頼者に同行する仕事を受けていた。派遣の依頼票には、内科、再診、結果説明、とだけ書かれていた。簡単な仕事だと思っていた。

待合室は静かで、ときどき天井近くの番号表示がポーンと鳴って数字が変わるだけだった。その静寂の中で、私の手だけが、依頼者と小さく言葉を交わしながら舞っていた。依頼者は私と同じくらいの年齢の女性で、検査の結果を聞きにきていた。手が震えてはいなかった。ただ、膝の上で組んだ指が、ときどき強く握り直されていた。

番号が呼ばれ、診察室に入った。医師は若い男性で、マスクをしていた。早口だった。私は彼の口もとを見ようとしたが、マスクで口形が読めない。声だけを頼りに、聞こえてくる日本語を片端から手話に変えていった。検査の数値、前回との比較、次の予約。ここまでは運べた。指文字を交えれば、たいていの固有名詞も運べる。

そして医師が言った。「まあ、様子を見ましょう」。私の手が、止まった。「様子を見る」を、手話のどこに置けばいいのか、わからなかった。様子を、見る。何を、誰が、いつまで。よく考えれば、その日本語は何も言っていなかった。治療をするとも、しないとも言っていない。心配だとも、心配ないとも言っていない。私はそれまで一年、その言葉を日本語として何百回も聞き、何の引っかかりもなく聞き流してきた。手に乗せようとした瞬間に、その言葉は、中身が空っぽであることを白状した。

依頼者が私を見た。そして手で訊いた。「先生は、何もしないと言っているの? それとも、心配ないと言っているの?」。対等な、まっすぐな問いだった。当然の問いだった。私はその二つのうちどちらなのかを、医師の日本語から取り出すことができなかった。私は答えられず、医師にもう一度訊くこともできず、ただ、自分の手が宙に浮いたまま行き場を失っているのを見ていた。

結局その日は、医師に「それは、いまは治療をしないという意味でしょうか」と私の判断で訊き直し、医師は少し怪訝な顔で「ああ、うん、いまはね」と答えた。私はそれを手話にして、依頼者に渡した。依頼者は小さくうなずいた。仕事としては、たぶん大きな失敗ではなかったのだろうと思う。けれど私は、自分が一年間、空っぽの言葉を空っぽのまま聞き流してきたことに、その日はじめて気づいてしまった。

それから二十年、私は「訳せない定型句」の収集家のような通訳者になった。「前向きに検討します」。「お大事に」。「様子を見ましょう」。音声の日本語のなかで、これらは潤滑油のようになめらかに流れていく。けれど手話に乗せようとすると、どれも正体を現す。何も決めていない言葉、決めないことを決めた言葉、別れの所作だけが残った言葉。私の手は、その空白の前で、いまでも一瞬止まる。

あの日、診察室で止まった私の手が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。訳せなかったことは、通訳者としての失敗だったかもしれない。けれど、訳せないという事実に気づけたことは、たぶん私にとって、二つの言語のあいだに立ち続けるための、最初の財産だった。待合室の番号表示は、今日もどこかで静かに数字を変えている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。